建長(けんちょう)は、日本の13世紀中頃の、鎌倉時代における元号で、1249年5月2日から始まり、1256年10月24日まで、8年間使われた。期間中の天皇は、後深草天皇である。
建長期、建長年間、建長年中などとも言われ、およそ1249年-1256年の間を指す。
建長の前の元号は宝治であり、次の元号は康元である。
【年】
・建長元年 - 西暦1249年。酉(とり)年、干支は己酉。宝治3年
・建長2年 - 西暦1250年。戌(いぬ)年、干支は庚戌
・建長3年 - 西暦1251年。亥(い)年、干支は辛亥
・建長4年 - 西暦1252年。子(ね)年、干支は壬子
・建長5年 - 西暦1253年。丑(うし)年、干支は癸丑
・建長6年 - 西暦1254年。寅(とら)年、干支は甲寅
・建長7年 - 西暦1255年。卯(う)年、干支は乙卯
・建長8年 - 西暦1256年。辰(たつ)年、干支は丙辰。康元元年
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・元号 - 特定年間の称号、一世一元の制以前は長く使用されれば安定、短ければ混乱
建長期、建長年間、建長年中などとも言われ、およそ1249年-1256年の間を指す。
建長の前の元号は宝治であり、次の元号は康元である。
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・建長2年 - 西暦1250年。戌(いぬ)年、干支は庚戌
・建長3年 - 西暦1251年。亥(い)年、干支は辛亥
・建長4年 - 西暦1252年。子(ね)年、干支は壬子
・建長5年 - 西暦1253年。丑(うし)年、干支は癸丑
・建長6年 - 西暦1254年。寅(とら)年、干支は甲寅
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