文永(ぶんえい)は、日本の13世紀後半の、鎌倉時代における元号で、1264年3月27日から始まり、1275年5月22日まで、12年間使われた。期間中の天皇は、亀山天皇である。
文永期、文永年間、文永年中などとも言われ、およそ1264年-1275年の間を指す。
文永の前の元号は弘長であり、次の元号は建治である。
【年】
・文永元年 - 西暦1264年。子(ね)年、干支は甲子。弘長4年
・文永2年 - 西暦1265年。丑(うし)年、干支は乙丑
・文永3年 - 西暦1266年。寅(とら)年、干支は丙寅
・文永4年 - 西暦1267年。卯(う)年、干支は丁卯
・文永5年 - 西暦1268年。辰(たつ)年、干支は戊辰
・文永6年 - 西暦1269年。巳(み)年、干支は己巳
・文永7年 - 西暦1270年。午(うま)年、干支は庚午
・文永8年 - 西暦1271年。未(ひつじ)年、干支は辛未
・文永9年 - 西暦1272年。申(さる)年、干支は壬申
・文永10年 - 西暦1273年。酉(とり)年、干支は癸酉
・文永11年 - 西暦1274年。戌(いぬ)年、干支は甲戌
・文永12年 - 西暦1275年。亥(い)年、干支は乙亥。建治元年
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・元号 - 特定年間の称号、一世一元の制以前は長く使用されれば安定、短ければ混乱
文永期、文永年間、文永年中などとも言われ、およそ1264年-1275年の間を指す。
文永の前の元号は弘長であり、次の元号は建治である。
【年】
・文永元年 - 西暦1264年。子(ね)年、干支は甲子。弘長4年
・文永2年 - 西暦1265年。丑(うし)年、干支は乙丑
・文永3年 - 西暦1266年。寅(とら)年、干支は丙寅
・文永4年 - 西暦1267年。卯(う)年、干支は丁卯
・文永5年 - 西暦1268年。辰(たつ)年、干支は戊辰
・文永6年 - 西暦1269年。巳(み)年、干支は己巳
・文永7年 - 西暦1270年。午(うま)年、干支は庚午
・文永8年 - 西暦1271年。未(ひつじ)年、干支は辛未
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・文永10年 - 西暦1273年。酉(とり)年、干支は癸酉
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