明徳(めいとく)は、日本の14世紀末の、南北朝時代における北朝の、次いで南朝も合意した元号で、1390年4月12日から始まり、1394年8月2日まで、5年間使われた。期間中の天皇は、後小松天皇である。

明徳期、明徳年間、明徳年中などとも言われ、およそ1390年-1394年の間を指す。

明徳の前の北朝の元号は康応であり、次の元号は応永である。

【年】
明徳元年 - 西暦1390年。午(うま)年、干支は庚午。康応2年
明徳2年 - 西暦1391年。未(ひつじ)年、干支は辛未。
明徳3年 - 西暦1392年。申(さる)年、干支は壬申。南北朝合一
明徳4年 - 西暦1393年。酉(とり)年、干支は癸酉
明徳5年 - 西暦1394年。戌(いぬ)年、干支は甲戌。応永元年

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