応永(おうえい)は、日本の14世紀から15世紀にかけての、室町時代における元号で、1394年8月2日から始まり、1428年6月10日まで、35年間使われた。期間中の天皇は、後小松天皇である。

応永期、応永年間、応永年中などとも言われ、およそ1394年-1428年の間を指す。

応永の前の元号は明徳であり、次の元号は正長である。

【年】
応永元年 - 西暦1394年。戌(いぬ)年、干支は甲戌。明徳5年
応永2年 - 西暦1395年。亥(い)年、干支は乙亥
応永3年 - 西暦1396年。子(ね)年、干支は丙子
応永4年 - 西暦1397年。丑(うし)年、干支は丁丑
応永5年 - 西暦1398年。寅(とら)年、干支は戊寅
応永6年 - 西暦1399年。卯(う)年、干支は己卯
応永7年 - 西暦1400年。辰(たつ)年、干支は庚辰
応永8年 - 西暦1401年。巳(み)年、干支は辛巳
応永9年 - 西暦1402年。午(うま)年、干支は壬午
応永10年 - 西暦1403年。未(ひつじ)年、干支は癸未
応永11年 - 西暦1404年。申(さる)年、干支は甲申
応永12年 - 西暦1405年。酉(とり)年、干支は乙酉
応永13年 - 西暦1406年。戌(いぬ)年、干支は丙戌
応永14年 - 西暦1407年。亥(い)年、干支は丁亥
応永15年 - 西暦1408年。子(ね)年、干支は戊子
応永16年 - 西暦1409年。丑(うし)年、干支は己丑
応永17年 - 西暦1410年。寅(とら)年、干支は庚寅
応永18年 - 西暦1411年。卯(う)年、干支は辛卯
応永19年 - 西暦1412年。辰(たつ)年、干支は壬辰
応永20年 - 西暦1413年。巳(み)年、干支は癸巳
応永21年 - 西暦1414年。午(うま)年、干支は甲午
応永22年 - 西暦1415年。未(ひつじ)年、干支は乙未
応永23年 - 西暦1416年。申(さる)年、干支は丙申
応永24年 - 西暦1417年。酉(とり)年、干支は丁酉
応永25年 - 西暦1418年。戌(いぬ)年、干支は戊戌
応永26年 - 西暦1419年。亥(い)年、干支は己亥
応永27年 - 西暦1420年。子(ね)年、干支は庚子
応永28年 - 西暦1421年。丑(うし)年、干支は辛丑
応永29年 - 西暦1422年。寅(とら)年、干支は壬寅
応永30年 - 西暦1423年。卯(う)年、干支は癸卯
応永31年 - 西暦1424年。辰(たつ)年、干支は甲辰
応永32年 - 西暦1425年。巳(み)年、干支は乙巳
応永33年 - 西暦1426年。午(うま)年、干支は丙午
応永34年 - 西暦1427年。未(ひつじ)年、干支は丁未
応永35年 - 西暦1428年。申(さる)年、干支は戊申。正長元年

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