10月4日。秋祭りの余韻が続き、全国の神社は神無月特有の静けさに包まれています。そんな境内を歩くと、ふと目に入るのが狛犬や狐、鹿、鳩といった動物たちの像や姿。これらは単なる装飾ではなく、神使(しんし)と呼ばれる、神と人を結ぶ存在です。神無月を迎えた今だからこそ、神使たちの意味を改めて考えてみましょう。
狛犬 ― 神社を守る獅子と犬
最も身近な神使といえば、拝殿前に対で置かれる狛犬です。古代インドや中国の獅子像がルーツで、日本では平安時代に宮廷の守護として伝わりました。左は口を開いた阿形(あぎょう)、右は口を閉じた吽形(うんぎょう)、一対で宇宙の始まりと終わりを表します。狛犬は「悪霊を祓い、神域を守る門番」として、今も参拝者を迎えています。
白狐 ― 稲荷神の使い
全国に三万社以上ある稲荷神社では、狐が神使とされます。五穀豊穣を司る宇迦之御魂神(ウカノミタマ)に仕え、稲荷社の鳥居前には必ず白狐像が並びます。狐は農地を荒らす鼠を捕らえることから豊作の象徴となり、また霊的な存在として「神の意志を伝える使者」と考えられました。10月、収穫を終えた田畑で実りを祈る人々の心に、狐の姿は特別な意味を持ちます。
鹿 ― 春日大社の神使
奈良・春日大社では鹿が神使として尊ばれています。『日本書紀』によれば、神が白鹿に乗って大和へ降り立ったと伝わり、以来、鹿は神の使いとして保護されました。奈良公園で自由に歩き回る鹿たちは、単なる観光資源ではなく、千年以上にわたる神使信仰の象徴なのです。
鳩 ― 八幡神の使い
全国に数多く存在する八幡神社では、鳩が神使とされます。戦勝と武運を司る八幡神は、時に鳩に姿を変えて現れると伝わります。鳩は平和の象徴でもあり、戦いの神と平和の鳥という一見相反する組み合わせは、「戦いを鎮め、和をもたらす」という八幡信仰の二面性を映しています。
神使の意味
神使は「神そのもの」ではなく、「神と人をつなぐ媒介」です。人々は動物の姿に神意を託し、祈りを形にしてきました。狛犬に手を合わせ、狐に稲穂を供え、鹿や鳩に神の加護を感じる――そこには、自然と人間を隔てずに共に生きるという日本独自の感覚が宿っています。
グローバルなこの時代、動物にさえ敬意を払う日本人、というのは、世界から見れば奇異に映るものです。基本的に諸外国では、動物は動物であり、動物は人に従属するもの、という考え方が強く、なかなか理解されにくい面もあります。だからこそ、この日本独自の感覚は貴重なものとして、後世に残していきたいものです。
現代に残る神使信仰
今も多くの神社で、絵馬や御守に動物の姿が描かれています。狐火を模した提灯、狛犬の形をした護符、鳩の絵馬などはその典型。神無月の今、人々は「神様は出雲へ集まっている」と考えつつも、境内の神使たちに日常の祈りを託してきました。神々の留守を守る番人として、神使の存在感はいっそう強まるのです。



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