崇神朝創祀の堅井之大宮、4月20日は宮人祭で曳山と各種神事
[住所]滋賀県愛知郡愛荘町岩倉123
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軽野神社(かるのじんじゃ)は、滋賀県愛知郡愛荘町岩倉にある神社。近鉄鉄道本線の愛知川駅の東約5キロ。名神高速道路の湖東三山スマートICの西すぐ近く。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「輕野神社(近江国・愛智郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

第10代崇神天皇の御宇、創祀されたと伝わる。「山城国葛野の別」が近江の蚊野に分住し、祖神を祀ったとも。御祭神は袁邪本王で、父である日子坐王を配祀している。

『古事記』に、彦坐王の次子「袁邪本王者、葛野之別、近淡海蚊野之別祖也」とあり、『新撰姓氏録』には「軽我孫公、治田連同祖、彦坐命四世孫白髪王之後也」とある。

第13代成務天皇の御代、軽我津公は軽野地三千代を御供奉田として奉納したという。

奈良時代には東大寺領となり、春日神社と呼ばれるようになったともいう。平安時代前期の貞観8年(867年)7月、第56代清和天皇が国家大平・五穀豊熟の勅願を行った。

中世には神宮寺として金剛輪寺が社務を司った。室町時代の応永25年(1418年)、佐々木京極時高はは武運長久を祈願して、金口一口を寄進した。

文明2年(1470年)9月、多賀豊後守高忠は神領を安堵。明応6年(1497年)、我孫子日向守実綱は宗家より拝領した剣・薙刀、そして御供田を奉納した。

万治3年(1660年)、勧修寺宮良尚法親王は親書を修め、江戸時代前期の元禄4年(1691年)、井伊直興が金燈蘢一対を寄進した。

住吉軽野神社、軽田公神社、春日大明神、軽野春日二社大明神、安孫子大明神、我孫子春日神社、堅木之宮などと呼ばれ、現在も堅井之大宮が通称。

明治9年(1876年)10月、村社に列し、明治14年(1881年)2月には郷社に昇格、9月に現社号に改称した。大正12年(1926年)1月、県社に昇格した。

現在までに、天児屋根命倉稲魂命句句廼智命応神天皇・宇多天皇・菅原道真・誉田別命を合祀している。御神紋は左三ツ巴。

本殿は二間社春日造で、間口2間、奥行3間。拝殿は入母屋造で間口3間3尺、奥行5間。粥占神事が伝わる。境内社として、春日神社・稲荷神社がある。例祭は4月20日で宮人祭。

もとは神輿渡御だったが、明治から曳山に変わったという。前夜祭の19日、9ヶ字の宮世話は、曳山奉斎の大御金幣を奉持し、各字の神社に一夜氏子とともに斎く。

翌20日の当日、9基の山車には趣向をこらした人形ダシを登載し、森下に集合。芸山を花笠稚児が曳行する。その先に変装行列、道中踊りの善男善女が宮人神事を展開する。

宮入完了と同時に宮人祭が奉納され、9ヶ字の一斉大太鼓で終わる。なお、式内社「輕野神社」の論社は他に、町内蚊野に当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、事業成功、地域安全、家内安全
軽野神社 滋賀県愛知郡愛荘町岩倉
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