敵舟を風のような速さで転覆、豊作のための風信仰とも、住吉三神
[住所]福井県大野市大矢戸4
[電話]-
風速神社(かざはやじんじゃ)は、福井県大野市大矢戸にある神社。九頭竜線の北大野駅の北約3キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「風速神社(越前国・大野郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。『越前国官社考』に式内社「風速神社」は、大矢戸村に鎮座の住吉大明神と記載されている。
神功皇后の三韓征伐を輔弼した神々で、手向う兵舟を風のような速さで転覆させた御神威から、社号が定着したという。
住吉大明神が大矢戸村の奥山に陣を構え、暴徒を平定した後 河内の野田の庄へ移る時、村人が別れを惜しんで嘆き悲しんだ。
そこで、住吉の神は自らの姿を彫り、村人に与えた。村人はそれを氏神として奉斎したのが当社の起源だという。
ただし、一説に、大野盆地特有の荒島岳から吹き降ろす「つむじ風」に乗ってやってくる害虫が及ぼす農作物被害が大きかったことから生じた「風の神」への信仰ともされる。
江戸時代中期の元文年間(1736年-1741年)の資料には、住吉大明神の社は2尺5寸四方で大矢戸村が管理しており、御神像の丈高は1尺5分で木造の座像である、とある。
往古大野盆地が沼湖であった頃 当社は現在地より50メートルほどの高台にあって、境内地の入口の桜の大木に船を繋いでいた。
しかし、中世になり、現在地に本殿を移した。近世まで住吉明神社などと称したが、明治になり、現社号に復称、明治9年(1876年)6月8日、村社に列した。
平成12年(2000年)、社殿の新築が行われた。本殿と拝殿は木造、瓦葺で、本殿は流造、拝殿は切妻造。御祭神は表筒男命・中筒男命・底筒男命の住吉三神。
例祭は9月14日。なお、式内社「風速神社」の論社は他に、市内の不動堂の春日神社、小矢戸の八幡神社が合祀したものがある。
【ご利益】
武運長久・勝運、五穀豊穣、厄災除け
【関連記事】
・福井県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福井県に鎮座している神社の一覧
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風速神社(かざはやじんじゃ)は、福井県大野市大矢戸にある神社。九頭竜線の北大野駅の北約3キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「風速神社(越前国・大野郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。『越前国官社考』に式内社「風速神社」は、大矢戸村に鎮座の住吉大明神と記載されている。
神功皇后の三韓征伐を輔弼した神々で、手向う兵舟を風のような速さで転覆させた御神威から、社号が定着したという。
住吉大明神が大矢戸村の奥山に陣を構え、暴徒を平定した後 河内の野田の庄へ移る時、村人が別れを惜しんで嘆き悲しんだ。
そこで、住吉の神は自らの姿を彫り、村人に与えた。村人はそれを氏神として奉斎したのが当社の起源だという。
ただし、一説に、大野盆地特有の荒島岳から吹き降ろす「つむじ風」に乗ってやってくる害虫が及ぼす農作物被害が大きかったことから生じた「風の神」への信仰ともされる。
江戸時代中期の元文年間(1736年-1741年)の資料には、住吉大明神の社は2尺5寸四方で大矢戸村が管理しており、御神像の丈高は1尺5分で木造の座像である、とある。
往古大野盆地が沼湖であった頃 当社は現在地より50メートルほどの高台にあって、境内地の入口の桜の大木に船を繋いでいた。
しかし、中世になり、現在地に本殿を移した。近世まで住吉明神社などと称したが、明治になり、現社号に復称、明治9年(1876年)6月8日、村社に列した。
平成12年(2000年)、社殿の新築が行われた。本殿と拝殿は木造、瓦葺で、本殿は流造、拝殿は切妻造。御祭神は表筒男命・中筒男命・底筒男命の住吉三神。
例祭は9月14日。なお、式内社「風速神社」の論社は他に、市内の不動堂の春日神社、小矢戸の八幡神社が合祀したものがある。
【ご利益】
武運長久・勝運、五穀豊穣、厄災除け
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