羽生大明神、式内・磐座神社とも、土輪神社とも
[住所]福井県福井市大宮町27字茶山6
[電話]-
八幡神社(はちまんじんじゃ)は、福井県福井市大宮町にある神社。九頭竜線の越前大宮駅のすぐ北、国道158号線沿い。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』越前国大野郡「磐座神社」に比定される式内社(小社)の論社、足羽郡「土輪神社」に比定される式内社(小社)の参考社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。古来から羽生・味見・芦見谷の総氏神として崇敬されてきた。もとは羽大宮祠とも称したようで、羽生大明神とも。
当社のこの呼称が、羽生庄の地名を生じさせたという。往古は、社叢は鬱蒼とし、社殿は大きく、大社だったが、そのうち衰微した。
もとから当社には式内社「磐座神社」だったという伝承があった。論社は他に、大野市の篠座神社の境内社がある。
また、羽生から、式内社「土輪神社」の参考社とする説がある。一般的には式内社「土輪神社」は不詳、あるいは廃絶したとされている。
式内社「土輪神社」の参考社は他に、足羽神社に合祀されたもの、鯖江市水落町の神明社の境内社である土宮がある。
この地域には弁天厳島神社、熊野神社、白山神社などがあり、この熊野神社には源義経が大雪のために宿泊、霊夢により兜や刀を寄進したという伝えがある。
戦国時代、朝倉義景も式内の由緒により、当社を崇敬したと伝わる。明治9年(1876年)6月、村社に列した。
明治42年(1909年)7月、大宮字弁天厳島神社、同字西谷熊野神社、同字観音堂白山神社を合併した。明治45年(1912年)、神饌幣帛料供進社に指定された。
御祭神は誉田別尊。武御名方神を配祀し、伊弉諾尊・伊邪那美尊・市寸嶋比咩命を合祀する。例祭は10月第2日曜日で例大祭。
【ご利益】
厄災除け、地域安全、交通安全

【関連記事】
・福井県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福井県に鎮座している神社の一覧

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八幡神社(はちまんじんじゃ)は、福井県福井市大宮町にある神社。九頭竜線の越前大宮駅のすぐ北、国道158号線沿い。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』越前国大野郡「磐座神社」に比定される式内社(小社)の論社、足羽郡「土輪神社」に比定される式内社(小社)の参考社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。古来から羽生・味見・芦見谷の総氏神として崇敬されてきた。もとは羽大宮祠とも称したようで、羽生大明神とも。
当社のこの呼称が、羽生庄の地名を生じさせたという。往古は、社叢は鬱蒼とし、社殿は大きく、大社だったが、そのうち衰微した。
もとから当社には式内社「磐座神社」だったという伝承があった。論社は他に、大野市の篠座神社の境内社がある。
また、羽生から、式内社「土輪神社」の参考社とする説がある。一般的には式内社「土輪神社」は不詳、あるいは廃絶したとされている。
式内社「土輪神社」の参考社は他に、足羽神社に合祀されたもの、鯖江市水落町の神明社の境内社である土宮がある。
この地域には弁天厳島神社、熊野神社、白山神社などがあり、この熊野神社には源義経が大雪のために宿泊、霊夢により兜や刀を寄進したという伝えがある。
戦国時代、朝倉義景も式内の由緒により、当社を崇敬したと伝わる。明治9年(1876年)6月、村社に列した。
明治42年(1909年)7月、大宮字弁天厳島神社、同字西谷熊野神社、同字観音堂白山神社を合併した。明治45年(1912年)、神饌幣帛料供進社に指定された。
御祭神は誉田別尊。武御名方神を配祀し、伊弉諾尊・伊邪那美尊・市寸嶋比咩命を合祀する。例祭は10月第2日曜日で例大祭。
【ご利益】
厄災除け、地域安全、交通安全

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