継体天皇ゆかり、左義長・市祭り・徳日参り・蓬莱祀
[住所]福井県越前市粟田部町19-3
[電話]0778-43-1626
岡太神社(おかふとじんじゃ)は、福井県越前市粟田部町にある神社。北陸本線の越前武生駅の東約7.5キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「岡本神社(越前国・今立郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
社伝によれば、第21代雄略天皇の御代以前に、建角身神・大己貴命・国狭槌尊の3柱を勧請して創建された。当初は玉穂の宮と称したという。
即位して第26代継体天皇になる以前、男大迹の王は当地に住み、九頭竜川、足羽川、日野川の三大河川を拓き、粟や麻などの栽培を奨励した。
奈良時代前期の養老2年(718年)正月、泰澄大師が巡錫の折、当地に来て仏像を勧進して、神仏同体の行を納め、社名を白山三社大権現神社としたという。
明治5年(1874年)、県社に列し、現社号に改称した。明治6年(1873年)、大火により焼失したが、明治35年(1902年)に再建された。相殿に継体天皇を祀る。
例祭は10月12日-14日で秋季例祭。迹王の餅とも、堂の餅とも呼ばれる神事がある。12日が集荷で、13日が配布。市の無形民俗文化財に指定されている。
13日には、大老賄膳・神輿渡御・子供神輿・浦安の舞があり、14日には子供太鼓・権兵衛太鼓が行われる。
1月11日には左義長が行われる。もとは当社本町の上の辻、本町下の辻の3ヶ所で行っていたが、江戸時代後期の天保10年(1840年)から、当社のみで行われるようになった。
いわゆるどんど焼きで、寒中の火の行事であり、家内安全、無病息災。開運などを祈願する人達で賑わう。現在は隣接する花筺公園で執り行われている。
2月9日には市祭り、小判買いとも呼ばれる貨幣交換の神事が行われる。氏子は当社に参拝して小判を声高に10万両、100万両と景気よく呼声をかけながら買う。
平安時代中期の寛弘5年(1008年)から始まったと伝えられ、往昔は毎月2と7の日に市が開かれていたと伝わる。現在の二日市、本町は市にちなんだ町名である。
2月10日は徳日参りがある。当社の拝殿に木造「聖観音立像」が安置される。篠座神社から移ったとされ、平安時代の作で、市指定文化財。
2月11日には蓬莱祀がある。国選択無形民俗文化財。奈良時代中期から始まったとされる。安土桃山時代の天正元年(1573年)に一度中断。
その後、天正17年(1589年)頃から再興し、藩政時代の文政11年(1828年)には神事の厳しさから莱祀騒動まで引き起こしたとされる。
その際は、福井藩から役人4名の礼服着用の警護人まで派遣されたが、現在は、氏子によって盛大に町内引き回しが行われている。
三里山山頂皇谷の地に、幹周り4.5メートル、幹の高さ9メートル、樹齢650年とされる薄墨桜がある。県の天然記念物に指定されている。
即位のため、上京することになった後の継体天皇である男大迹王子が当社にその形見として残された桜と伝わる。
後に俗風に染まるのを畏れて、人里まれな現在地に文亀2年(1503年)、右野盛重によって植えかえられ、皇子の遺跡として崇めるようになったという。
当社は謡曲「花筐」ゆかりの地。味真野神社には発祥の地の碑があるが、花筐公園能舞台には花筐ゆかりの地碑がある。
当社の境内社に、須波阿須疑神社、宣化天皇宮、宗忠神社、安閑神社、白山比咩神社があるが、味真野神社は式内社「須波阿須疑神社三座」の論社。
謡曲「花筐」でつながる当社と味真野神社は、当社境内社である須波阿須疑神社と、味真野神社が比定されている式内社名が同一になっている。
花筺公園の麓に六角形の玉垣に囲まれた「皇子が池」がある。この池は継体天皇の皇子である 第27代安閑天皇・第28代宣化天皇の産湯に使ったと伝わる。
近くでは県の「福井の美味しい水」に認定されている「皇子が池の水」が流れ出ている。
なお、式内社「岡本神社」の論社は他に、市内大滝町の大瀧神社の境内にある岡太神社、鯖江市水落町の神明社がある。
なお、市内には大滝町に紙祖神として名高く、大瀧神社とともに祀られている先の岡太神社が、岡本町にもやはり別の式内論社の岡太神社があるが、いずれも別の神社である。
【ご利益】
事業成功、産業振興、商売繁盛、地域安全(公式HP)
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[電話]0778-43-1626
岡太神社(おかふとじんじゃ)は、福井県越前市粟田部町にある神社。北陸本線の越前武生駅の東約7.5キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「岡本神社(越前国・今立郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
社伝によれば、第21代雄略天皇の御代以前に、建角身神・大己貴命・国狭槌尊の3柱を勧請して創建された。当初は玉穂の宮と称したという。
即位して第26代継体天皇になる以前、男大迹の王は当地に住み、九頭竜川、足羽川、日野川の三大河川を拓き、粟や麻などの栽培を奨励した。
奈良時代前期の養老2年(718年)正月、泰澄大師が巡錫の折、当地に来て仏像を勧進して、神仏同体の行を納め、社名を白山三社大権現神社としたという。
明治5年(1874年)、県社に列し、現社号に改称した。明治6年(1873年)、大火により焼失したが、明治35年(1902年)に再建された。相殿に継体天皇を祀る。
例祭は10月12日-14日で秋季例祭。迹王の餅とも、堂の餅とも呼ばれる神事がある。12日が集荷で、13日が配布。市の無形民俗文化財に指定されている。
13日には、大老賄膳・神輿渡御・子供神輿・浦安の舞があり、14日には子供太鼓・権兵衛太鼓が行われる。
1月11日には左義長が行われる。もとは当社本町の上の辻、本町下の辻の3ヶ所で行っていたが、江戸時代後期の天保10年(1840年)から、当社のみで行われるようになった。
いわゆるどんど焼きで、寒中の火の行事であり、家内安全、無病息災。開運などを祈願する人達で賑わう。現在は隣接する花筺公園で執り行われている。
2月9日には市祭り、小判買いとも呼ばれる貨幣交換の神事が行われる。氏子は当社に参拝して小判を声高に10万両、100万両と景気よく呼声をかけながら買う。
平安時代中期の寛弘5年(1008年)から始まったと伝えられ、往昔は毎月2と7の日に市が開かれていたと伝わる。現在の二日市、本町は市にちなんだ町名である。
2月10日は徳日参りがある。当社の拝殿に木造「聖観音立像」が安置される。篠座神社から移ったとされ、平安時代の作で、市指定文化財。
2月11日には蓬莱祀がある。国選択無形民俗文化財。奈良時代中期から始まったとされる。安土桃山時代の天正元年(1573年)に一度中断。
その後、天正17年(1589年)頃から再興し、藩政時代の文政11年(1828年)には神事の厳しさから莱祀騒動まで引き起こしたとされる。
その際は、福井藩から役人4名の礼服着用の警護人まで派遣されたが、現在は、氏子によって盛大に町内引き回しが行われている。
三里山山頂皇谷の地に、幹周り4.5メートル、幹の高さ9メートル、樹齢650年とされる薄墨桜がある。県の天然記念物に指定されている。
即位のため、上京することになった後の継体天皇である男大迹王子が当社にその形見として残された桜と伝わる。
後に俗風に染まるのを畏れて、人里まれな現在地に文亀2年(1503年)、右野盛重によって植えかえられ、皇子の遺跡として崇めるようになったという。
当社は謡曲「花筐」ゆかりの地。味真野神社には発祥の地の碑があるが、花筐公園能舞台には花筐ゆかりの地碑がある。
当社の境内社に、須波阿須疑神社、宣化天皇宮、宗忠神社、安閑神社、白山比咩神社があるが、味真野神社は式内社「須波阿須疑神社三座」の論社。
謡曲「花筐」でつながる当社と味真野神社は、当社境内社である須波阿須疑神社と、味真野神社が比定されている式内社名が同一になっている。
花筺公園の麓に六角形の玉垣に囲まれた「皇子が池」がある。この池は継体天皇の皇子である 第27代安閑天皇・第28代宣化天皇の産湯に使ったと伝わる。
近くでは県の「福井の美味しい水」に認定されている「皇子が池の水」が流れ出ている。
なお、式内社「岡本神社」の論社は他に、市内大滝町の大瀧神社の境内にある岡太神社、鯖江市水落町の神明社がある。
なお、市内には大滝町に紙祖神として名高く、大瀧神社とともに祀られている先の岡太神社が、岡本町にもやはり別の式内論社の岡太神社があるが、いずれも別の神社である。
【ご利益】
事業成功、産業振興、商売繁盛、地域安全(公式HP)
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