式内・比古奈神社とも枚岡神社とも、牛頭天王宮
[住所]福井県坂井市三国町北本町1-4-30
[電話]-
氷川神社(ひかわじんじゃ)は、福井県坂井市三国町北本町にある神社。えちぜん鉄道三国芦原線の三国駅の南すぐ。拝殿に書き置きの御朱印があるという。
『延喜式神名帳』越前国坂井郡にある「比古奈神社」「枚岡神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。往古は、字枚岡に鎮座し、枚岡神社と称した。これが式内社「枚岡神社」に対する比定根拠になっている。
枚岡は、本港から加賀への通路とされる。枚埜とも、平埜ともいい、地名を平野口と呼んだらしく、現在の錦町あたりだと考えられている。
江戸時代初期の元和4年(1618年)、旧薬師町、現在の基町に遷座した。さらに江戸時代前期の万治2年(1659年)、現在地に遷座した。
いつの頃からか、薬師堂と呼ばれ、このことにより、御祭神を少彦名神と考え、当社を式内社「比古奈神社」とする説もある。
ただ、現在地遷座の江戸前期当時より牛頭天王宮・牛頭天王社とも呼ばれ、現在も「天王さん」と呼ばれ、親しまれている。
蔵の建て替えをする際、保管されていたものを全部出して整理したところ、「牛頭天王」と書かれた大小の額が4枚出てきたため。現在は拝殿内に掲げられている。
往時は境内で相撲興行が行われ、周囲に芝居小屋や遊女屋が並び、一大歓楽街を形成していたという。
明治元年(1868年)4月10日、神仏分離の令の公布により、現社号に改称した。御祭神は須佐之男命。例祭は7月24日で例大祭。神輿渡御が行われる。
社殿は江戸時代後期の文政3年(1820年)に建てられたもので、棟梁は八十島四郎兵衛兼房であり、天保年間(1831年-1845年)に三國神社を建てる時の棟梁でもあった。
正面の大鳥居に掲げられている「氷川神社」の額は勝海舟の書いたもので、原書は掛軸となって当社に保管されている。入手経路は不明。
御御輿は総重量450キロで、全てが三国の職人により造られており、彫刻は志摩義時で、その父は有名な志摩乗時(初代竜斉)で、義時はその次男。
彫刻はもちろん、金具類も精巧にできており、三国の彫刻師、塗師、金具師の人々が造った二つとない貴重な神輿とされる。玉矛にも義時作の銘がある。
本殿の右側に、左から番匠神社(聖徳太子)、稲荷神社、不動尊を祀る不動明王堂が並んでいる。当社の裏手にある倉庫には、三国祭の貴宝区の山車が収納されている。
なお、式内社「枚岡神社」の論社は他に、当社からも近い市内三国町神明の神明社、福井市の足羽神社の境内社、鯖江市水落町の神明社の境内社である八幡・多賀がある。
式内社「比古奈神社」の論社は他に、三国町神明の神明社の境内社がある。
【ご利益】
厄災除け、悪疫退散、病気平癒
【関連記事】
・福井県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福井県に鎮座している神社の一覧
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氷川神社(ひかわじんじゃ)は、福井県坂井市三国町北本町にある神社。えちぜん鉄道三国芦原線の三国駅の南すぐ。拝殿に書き置きの御朱印があるという。
『延喜式神名帳』越前国坂井郡にある「比古奈神社」「枚岡神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。往古は、字枚岡に鎮座し、枚岡神社と称した。これが式内社「枚岡神社」に対する比定根拠になっている。
枚岡は、本港から加賀への通路とされる。枚埜とも、平埜ともいい、地名を平野口と呼んだらしく、現在の錦町あたりだと考えられている。
江戸時代初期の元和4年(1618年)、旧薬師町、現在の基町に遷座した。さらに江戸時代前期の万治2年(1659年)、現在地に遷座した。
いつの頃からか、薬師堂と呼ばれ、このことにより、御祭神を少彦名神と考え、当社を式内社「比古奈神社」とする説もある。
ただ、現在地遷座の江戸前期当時より牛頭天王宮・牛頭天王社とも呼ばれ、現在も「天王さん」と呼ばれ、親しまれている。
蔵の建て替えをする際、保管されていたものを全部出して整理したところ、「牛頭天王」と書かれた大小の額が4枚出てきたため。現在は拝殿内に掲げられている。
往時は境内で相撲興行が行われ、周囲に芝居小屋や遊女屋が並び、一大歓楽街を形成していたという。
明治元年(1868年)4月10日、神仏分離の令の公布により、現社号に改称した。御祭神は須佐之男命。例祭は7月24日で例大祭。神輿渡御が行われる。
社殿は江戸時代後期の文政3年(1820年)に建てられたもので、棟梁は八十島四郎兵衛兼房であり、天保年間(1831年-1845年)に三國神社を建てる時の棟梁でもあった。
正面の大鳥居に掲げられている「氷川神社」の額は勝海舟の書いたもので、原書は掛軸となって当社に保管されている。入手経路は不明。
御御輿は総重量450キロで、全てが三国の職人により造られており、彫刻は志摩義時で、その父は有名な志摩乗時(初代竜斉)で、義時はその次男。
彫刻はもちろん、金具類も精巧にできており、三国の彫刻師、塗師、金具師の人々が造った二つとない貴重な神輿とされる。玉矛にも義時作の銘がある。
本殿の右側に、左から番匠神社(聖徳太子)、稲荷神社、不動尊を祀る不動明王堂が並んでいる。当社の裏手にある倉庫には、三国祭の貴宝区の山車が収納されている。
なお、式内社「枚岡神社」の論社は他に、当社からも近い市内三国町神明の神明社、福井市の足羽神社の境内社、鯖江市水落町の神明社の境内社である八幡・多賀がある。
式内社「比古奈神社」の論社は他に、三国町神明の神明社の境内社がある。
【ご利益】
厄災除け、悪疫退散、病気平癒
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