継体天皇が勧請、もとは式内・大溝神社、7月に山車など金津祭り
[住所]福井県あわら市春宮2-14-64
[電話]0776-73-2233

金津神社(かなつじんじゃ)は、福井県あわら市春宮にある神社。北陸温泉の芦原温泉駅の西すぐ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「大溝神社(越前国・坂井郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。総社金津神社とも。

第26代継体天皇が勧請し、創建されたと伝わる。もとは式内社名である大溝神社と称していた。

第50代桓武天皇の御宇、奈良時代末期の延暦11年(792年)、南都本宮の御分神春日神社を合祀して、芦原大溝神社、春日大神とも称した。

当時、鎮守府将軍坂上田村麿(坂上田村麻呂)が崇敬し、多くの寄進があった。平安時代中期の第66代一条天皇の御宇、当国押領使齋藤民部小輔伊傳も崇敬・寄進した。

第77代後白河天皇の御宇、平安時代末期の保元元年(1156年)、当国総追捕使齋藤国貞が上南都興福寺衆徒下向奉幣神輿を寄付した。

その際国貞は、僧侶・社人・庄官など28名を置き、天下泰平・国家豊饒を祈誓し、春秋祭典には必ず郷中16ヶ村へ神輿渡御を行わせた、という。

安土桃山時代の天正3年(1575年)、織田信長により60町の社領が没収され、神宝、古籍なども焼却させられた。

社人や僧侶は四方に離散し、ただ一人、性宝院坊のみが御神体を守護、保存に努め、現在に残る。戦国時代の天文9年(1540年)の銘が残る。

以降、しばらく川北芦原大溝神社の号のみ残っていたが、江戸時代中期の宝永4年(1707年)、氏子の協力を得て社殿・拝殿を再興した。

また、寛延元年(1748年)、当時の藩主家より寄進があり、当社が3月11日、春日神社が8月15日と春秋両度に祭日を定めた。

明治5年(1872年)、郷村48ヶ村の郷社に列し、明治10年(1877年)4月には郷社大溝春日神社に改称した。

明治15年(1882年)5月20日、境内社の彦狭神社が大破したため、これを本社の相殿に祀った。明治30年(1897年)6月、社殿の修復が行われた。

その際、境内も拡張され、諸末社も建築・整備され、祭礼において山車の町内巡行を年中行事とした。

明治39年(1906年)8月、御鎮座千百年祭が行われた。大正元年(1912年)8月26日、神饌幣帛料供進社に指定された。

昭和23年(1948年)6月の福井大地震で、春日神社の社殿などが倒壊。昭和24年(1949年)、十日地区内で倒壊を免れた市姫神社・金山神社を春日神社の境内地に移した。

その上で、白山神社を春日神社本殿に合祀して現社号に改称した。当社殿は市姫神社の社殿を春日山山頂から移築した。

現在までに御祭神は、神日本磐余彦命天児屋根命経津主命武甕槌命、姫大神、厩戸太子金山彦命伊弉諾命伊弉册尊

昭和46年(1971年)、鉄筋コンクリート銅版葺入母屋造り本殿・幣殿・拝殿・翼殿が竣工し、正遷座祭が斎行された。

翌昭和47年(1972年)5月30日、社務所を新築、鉄筋コンクリート平屋建とした。6月2日に上棟祭・総合竣工式、3日に例大祭、4日に奉祝祭を執行した。

この一連の境内整備を記念して、それまで7月20日だった例祭を6月3日に変更した、というが、現在も7月20日を中心に行われているようだ。

当社の例祭は金津祭として、町を挙げて行われる。現在は7月海の日を中心に3日間行われる。県内最大級の山車と、子供踊りが町内を練り歩く。

もう一つの見所は、江戸時代初期以来の伝統を持つ本陣飾り物。参勤交代の殿様を日用品で作った飾り物でもてなしたのが始まり。

18の区が趣向を懲らして作る本陣飾り物を訪ね歩くのも、祭のもう一つの楽しみ。なお、特種神事として佐義長祭が1月15日に行われ、いわゆるどんど焼。

なお、式内社「大溝神社」の論社は他に、市内馬場の式内同名神社がある。

【ご利益】
地域安全、家内安全、厄災除け
金津神社 福井県あわら市春宮
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