継体天皇の皇女円媛が治水事業受け継ぐ、9月特殊神事「表児の米」
[住所]福井県坂井市丸岡町北横地14-29,30
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布久漏神社(ふくろじんじゃ)は、福井県坂井市丸岡町北横地にある神社。北陸本線の春江駅の東約3キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「布久漏神社(越前国・坂井郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。社伝によれば、第26代継体天皇が男大迹皇子として越の国坂中井に居住した頃、この辺り一面は泥沼で、耕地が少なかった。

ある時、九頭竜川の水口を切り開いたところ、水が海に流れるようになり、次第に耕地が広がった。

継体天皇が即位し、当地を離れた後、この布久漏郷に第19番目の皇女である円弥媛(円媛命)が居住し、この治水事業を受け継ぎ、現在の十郷用水の礎を造った。

これには、鹿にまつわる伝承が残されている。東南の山奥から一頭の鹿が里に下りてきて、一声大きく鳴いた。

この鹿は、布久漏の地に来てしばらく憩い、餌をあさっり、その後、本荘方面に向かって駆けていき、忽然と姿を消した。

その鹿の鳴いた場所が、現在の「鳴鹿」の地名の起こりだという。鹿の通過した跡を調べて、掘って用水路にしたのが現在の十郷用水の起源だという。

円媛命は、自身が第15代応神天皇の六世孫に当たることから、その母の神功皇后とともに氏神として祀り、土地の名を取って現社号を名乗ったのが、当社の起源とされる。

『日本書紀』では円娘皇女、『古事記』では都夫良郎女とある円媛命は、当地で薨去し、当社の近くに葬られたと伝えられているが、現在、その場所は不明となっている。

以来、布久漏地堂・横地村八幡社などとも呼ばれた。ただし、当社は明らかに八幡とは違う由緒を有している。

もとは北潟と浜坂の間に鎮座したが、戦国時代、一向一揆の動乱に際して、吉崎に近かったため、大打撃を受けたという。

御祭神は誉田別命。息長帶姫命を配祀する。ただし、一般的には継体天皇や円媛命も祀られていると考えられている。例祭は9月14日。

特殊神事「表児(ひょうこ)の米」がある。9月14日の宵、村の若者十数名が褌姿で公民館に集まり、太鼓の囃子に合わせ歌いながら肩を組み輪になって押し合いをする。

続いて初穂米を臼に入れ、「今搗くお米は、百姓の涙米…」などの歌にあわせて米を搗き、蒸して神前に供える。

残った米を団子状に丸め、箕のでまく。この団子状の米そのものも表児の米と呼ぶ。翌朝には、「マスヤマスヤ」と呼びながら村中に配るという。

この神事の由緒は、1)昔、神に娘を人身御供としていた頃の名残、2)円媛命の命日の祭、3)朝倉氏の祖である、第36代孝徳天皇の皇子表米親王の祭、と諸説ある。

現在は、毎年9月第3土・日曜日に催される。県の無形民俗文化財に指定されている。また、境内の左手に、西向きの境内社が一つ、社殿の前に、石の祠が一つ祀られている。

なお、式内社「布久漏神社」の論社は他に、あわら市北潟の八雲神社、市内の丸岡町春江町の八幡神社がある。

【ご利益】
事業成功、産業振興、五穀豊穣、厄災除け
布久漏神社 福井県坂井市丸岡町北横地
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