継体天皇の勧請、境内社も帝ゆかりの鵜甘神社と麻気神社
[住所]福井県越前市西樫尾町28-5
[電話]-
荒樫神社(あらかしじんじゃ)は、福井県越前市西樫尾町にある神社。近代社格では村社。北陸本線の武生駅の東約7キロ。御朱印の有無は不明。
創祀年代は不詳だが、社伝によれば、男大迹皇子が即位して第26代継体天皇になる以前、祖神を筑前国香椎宮から勧請したのが、当社の創祀だという。
御祭神は天照皇大神。仲哀天皇・神功皇后と、表筒男神・中筒男神・底筒男神の住吉三神を合祀している。例祭は10月10日。
境内社の麻気神社は、男大迹皇子が幼少の頃、生母である振姫に従い、当地へ来た時、伯父である麻加加介の世話になったことから、振姫と麻加加介の2柱を祀ったもの。
境内の左手に細い道があり、奥には境内社である鵜甘神社がある。『延喜式神名帳』にある「鵜甘神社(越前国・今立郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
鵜甘神社の創祀年代も不詳だが、男大迹皇子の弟である太郎子王の創祀とも。御祭神は応神天皇。武内宿禰・継体天皇・安閑天皇・宣化天皇・国中主神を合祀している。
式内社「鵜甘神社」の論社は他に、今立郡池田町、越前市の入谷町、片屋町、南条郡南越前町の式内同名神社がある。
境内には「御陵」と称する周囲54メートル、高さ2.5メートルの亀の形をした古墳がある。明治時代に教部省と宮内省の実地検分が行われたが、墳墓の主は不明だという。
当社及びその形態社に登場する継体天皇ゆかりの、生母である振姫、伯父である麻加加介、弟である太郎子王などが被葬者としては考えられるか。
当社の本殿奥の中央厨子左右に、木造十一面観音立像二躯が祀られている。像高は左方が181.9センチ、右方が186.3センチ。町指定文化財である。
この二像はいずれも、頂上に仏面天冠台、上方の正面に阿弥陀如来立像の化仏、そのまわりに十一面を戴く。
また、左手は屈して水瓶を執り、右手は垂下して五指を開いて立つ形でまばら彫と鬢髪一条が耳半ばを亘っている。条帛、天衣を着し裳と腰布をまとう。
左方の像は11世紀前半頃の充実した地方彫刻の風が認められ、右方像はある程度左像に倣って12世紀の平安末期に造像されたと憶測される。
本二像は当地方における等身を超える十一面観音像の貴重な古例といえる。頂上仏面や十一面、天冠台、台座や光背などはともに近世の補作である。
また、木造泰澄大師坐像一躯が伝わる。像高は38.5センチ。やはり町指定文化財である。肖像彫刻で、桂の一木造・丸彫・彩色像で両手先のみが矧ぎつけられている。
やや首を前に傾け右前の衣を着け、両手は胸前で持ち物を握る形の僧形坐像。衣紋の彫りなども簡素で、全体に素朴で親しみを感ぜさせる。
やや破損補修がいちじるしいが、鎌倉時代末ごろの作と想定されている。
【ご利益】
開運招福、平穏安寧、一族・子孫繁栄
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荒樫神社(あらかしじんじゃ)は、福井県越前市西樫尾町にある神社。近代社格では村社。北陸本線の武生駅の東約7キロ。御朱印の有無は不明。
創祀年代は不詳だが、社伝によれば、男大迹皇子が即位して第26代継体天皇になる以前、祖神を筑前国香椎宮から勧請したのが、当社の創祀だという。
御祭神は天照皇大神。仲哀天皇・神功皇后と、表筒男神・中筒男神・底筒男神の住吉三神を合祀している。例祭は10月10日。
境内社の麻気神社は、男大迹皇子が幼少の頃、生母である振姫に従い、当地へ来た時、伯父である麻加加介の世話になったことから、振姫と麻加加介の2柱を祀ったもの。
境内の左手に細い道があり、奥には境内社である鵜甘神社がある。『延喜式神名帳』にある「鵜甘神社(越前国・今立郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
鵜甘神社の創祀年代も不詳だが、男大迹皇子の弟である太郎子王の創祀とも。御祭神は応神天皇。武内宿禰・継体天皇・安閑天皇・宣化天皇・国中主神を合祀している。
式内社「鵜甘神社」の論社は他に、今立郡池田町、越前市の入谷町、片屋町、南条郡南越前町の式内同名神社がある。
境内には「御陵」と称する周囲54メートル、高さ2.5メートルの亀の形をした古墳がある。明治時代に教部省と宮内省の実地検分が行われたが、墳墓の主は不明だという。
当社及びその形態社に登場する継体天皇ゆかりの、生母である振姫、伯父である麻加加介、弟である太郎子王などが被葬者としては考えられるか。
当社の本殿奥の中央厨子左右に、木造十一面観音立像二躯が祀られている。像高は左方が181.9センチ、右方が186.3センチ。町指定文化財である。
この二像はいずれも、頂上に仏面天冠台、上方の正面に阿弥陀如来立像の化仏、そのまわりに十一面を戴く。
また、左手は屈して水瓶を執り、右手は垂下して五指を開いて立つ形でまばら彫と鬢髪一条が耳半ばを亘っている。条帛、天衣を着し裳と腰布をまとう。
左方の像は11世紀前半頃の充実した地方彫刻の風が認められ、右方像はある程度左像に倣って12世紀の平安末期に造像されたと憶測される。
本二像は当地方における等身を超える十一面観音像の貴重な古例といえる。頂上仏面や十一面、天冠台、台座や光背などはともに近世の補作である。
また、木造泰澄大師坐像一躯が伝わる。像高は38.5センチ。やはり町指定文化財である。肖像彫刻で、桂の一木造・丸彫・彩色像で両手先のみが矧ぎつけられている。
やや首を前に傾け右前の衣を着け、両手は胸前で持ち物を握る形の僧形坐像。衣紋の彫りなども簡素で、全体に素朴で親しみを感ぜさせる。
やや破損補修がいちじるしいが、鎌倉時代末ごろの作と想定されている。
【ご利益】
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