厄年の人を豪快に放り投げる「殿上まいり」、境内に式内・刀那神社
[住所]福井県鯖江市尾花町12-23-1
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禅定神社(ぜんじょうじんじゃ)は、福井県鯖江市尾花町にある神社。北陸本線の鯖江駅の東約12キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「刀那神社(越前国・今立郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。尾花町には禅定山があり、山腹に泰澄が堂を開き、伊弉册尊を帝釈梵天王に配し、往時は参詣者で賑わった。

後、現社号に改称し、その遥拝所となったという。山頂には奥宮がある。御祭神は白山大権現。現在、当社の境内社に刀那神社がある。

ただし、もとは当社地には刀那神社があったとも。この刀那神社も創祀年代は不詳。社記によれば、御祭神は第26代継体天皇の皇女である茨田皇女。

茨田連小望の娘である関媛(せきひめ)との間の子で、一般的に茨田大娘皇女(まんたのおおいらつめのひめみこ)と記載される。『古事記』に記載はない。

茨田皇女は当地の三社森で薨じたと伝わる。そのため、この地を茨田谷と称し、その後、この地の近郷を河和田谷と呼ぶようになったという。

往時はこの刀那神社が付近の総社として崇敬されたが、明治42年(1909)5月、寺中の河和田神社に合祀され、社地は消失した。

しかし、戦後の昭和23年(1948年)、当地の禅定神社へ戻された。現在、当社の鳥居には「禅定神社」とあり、拝殿扁額には「式内刀那神社」とある。

境内右手、南側の斜面に刀那神社の旧地を示す石碑が建っている。その先には社殿があり、現在はこれが刀那神社とされる。

なお、式内社「刀那神社」の論社は他に、鯖江市上戸口町越前市寺地町に式内同名神社がある。

当社は「殿上まいり」で知られる。毎年2月第1日曜日にお魂われる厄払い行事。江戸時代初期から一度も途絶えることのない行事といわれる。

当日は、当番役が寄進された御神酒や餅などを背負い、「笠掛松」「一本杉」と呼ばれる御神木を経由し、標高670メートルの禅定山頂付近の奥宮まで登る。

御神木や社殿の注連縄の張替えなどを行い、参拝を終えた人から焚火を囲んで昼食を取る。この後、厄払い行事は突然「わっしょい、わっしょい」という掛け声のもと始まる。

当番役と厄年の人が入り乱れて押し合い、組み合いが始まり、厄年の人たちが5-6メートル下の雪中へ次々と豪快に放り出される。

放り出された人には御神酒が振る舞われ、その後の餅まきとともに、この一年の無病息災を祈る。厄年の人を投げることによって厄を追い払うという形式は県内でも類例がない。

【ご利益】
厄災除け、無病息災、身体壮健、リフレッシュ
禅定神社 福井県鯖江市尾花町
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