天平期の創立、天正期まで隆盛、将門伝承ある相馬氏が神官
刀那神社 福井県越前市寺地町12-35-1
[住所]福井県越前市寺地町12-35-1
[電話]-

刀那神社(となじんじゃ)は、福井県越前市寺地町にある神社。服部川北岸、北陸本線の鯖江駅の東約12キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「刀那神社(越前国・今立郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

奈良時代中期の天平20年(748年)、第45代聖武天皇の勅詔により当地高尾山天領に建立されたのが始まりとされる。

その後、横山地籍に移り、さらに滝清水山の現在地に移転された。創建以来、服間谷奥8ヶ村の総社として崇敬された。

安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)まで隆盛を極めたが、一向一揆の際、度々の兵乱を被り、神領も没収され、数人いた神職も離散した。

その後、当村の相馬伊左衛門が神官となり、明治42年(1909年)、河和田村八幡神社に一時合祀されるまで、相馬家は代々神職を勤め、当社護持に努めた。

この相馬家の始祖である平親王相馬将門は寛和元年(985年)4月5日、当地に来訪、屋敷一町四方に館を構え、相馬真海と改名した。

正暦5年(994年)9月16日、90歳で当地において逝去。平将門の異説の一つ。この相馬家の始祖にちなむ春日神社(天児屋根命)が境内社として鎮座している。

その間、江戸時代後期の文化11年(1814年)には火災により社殿・文書すべてを焼失したが、翌文化12年に本殿(1815年)を、天保12年(1848年)に末社の再建を果たした。

明治42年5月31日、社殿改築を終えた河和田村寺中の八幡神社に、当社とその境内社である春日神社・子守神社を合祀した。

この八幡神社が改称して郷社河和田神社となった。昭和18年(1943年)7月13日、現在地に本社・境内社を復旧し、今に至る。

御祭神は、天御桙命(あめのみほこのみこと)。『先代旧事本紀』では、神功皇后の時に伊豆国造に任じられた若建命が物部連祖・天御桙命の八世孫だという。

また、矢田部氏に伝わる系図『伊豆国造伊豆宿禰系図』では、初代に天御桙命、第9代に若多祁命を記載している。

『新選姓氏録』では、「大和国神別」に、服部連は、「天御中主命十一世孫天御桙命之後也」とある。神名から、天日矛命との関わりも指摘される。

例祭は10月第2日曜日。なお、式内社「刀那神社」の論社は他に、鯖江市の当社および式内同名神社禅定神社に合祀されたものがある。

【ご利益】
事業成功、一族・子孫繁栄
刀那神社 福井県越前市寺地町
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