国の中央に越の国魂を祀る、獅子渡、ごぼう講、要石
[住所]福井県越前市国中町58-27
[電話]-
國中神社(くになかじんじゃ)は、福井県越前市国中町にある神社。北陸本線の鯖江駅の東約6キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「国中神社二座(越前国・今立郡)」に比定される式内社(小社)のうちの一座。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。越前国の中央に位置し、国中の社号はそこから。越の国魂の神を祀る。国内神名帳には従一位国中大明神とある。
往昔より国司・郡宰が信仰し、神地を寄付し、社領70町あまり、当郡第一の社とされた。もとは当社の北西にある三里山の山上に二座が鎮座していた。
七堂伽藍を具備し、奉仕の社僧も多かったが、延元(1336年-1340年)・天正年間(1573年-1593年)の兵火で衰微した。
現在は、二つの神社に分かれており、もう一つは中津山町に鎮座する。いずれも旧南北中津山村に位置している。中津山とは、「中ツ山」。やはり中央である。
旧中山郷10ヶ村あまりの総社、氏神として崇敬され、明治になり、旧敦賀県の時に村社に列し、明治12年(1879年)、郷社に昇格した。
御祭神は越比古神。越比賣神を配祀する。明治42年、西庄境区村社国中神社(彦火火出見尊)を合祀した。神紋は五三の桐。例祭は10月11日。
当社には、往昔より泰澄大師の作と伝わる獅子頭二頭、猿田彦命の面一面、三叉剱一振がある。六日獅子と称し、例年の大祭前8月6日、これらを社頭に出し、神酒を供える。
いわゆる獅子渡で、旧北中津山村の若者らが軽装、足袋、はだしで各種の鳴物や松明を手にして社頭に集まり、一人が獅子頭を冠し、笛太鼓に和して舞う。
やがて獅子は疾走を始めようとするが、多くの若者が鳴物を鳴らし、松明を打ち振り、その前面を遮り、これを止めようとする。獅子はますます荒れ狂う。
両者の争いの後、ついに若者らを振り切り、獅子は村内に突入。若者らは大声を出してこれを追い、あるいは舞い、あるいは疾走して村内を巡る。
また、往古より「宮の構」と称するものがある。正月17日に行事があるため、俗に「十七日構」とも呼ばれる。
いわゆる「惣田正月十七日講」である。直会で山盛りのゴボウ料理を食べることから「ごんぼ講」「ごぼう講」の名称で広く知られる。
講に加入している講人は、江戸時代から書き継がれている講宿帳の順番に従って当番を務める。当番の家が講宿となり、座敷の床の間に設けられた神座に神を迎える。
講人みなで1年の豊作を祈願し、神事を終えると、約300キロのゴボウを使って、1日がかりで調理された料理と、五合盛の物相飯で直会する。
当社へ向う県道に、長径67センチ、短径60センチ、高さ50センチの当社社宝「国中の要石」という石が安置されている。
その石が、越前国の中心を位置する、あるいは太閤検地の際の測地の基準となったものだと伝わる。
【ご利益】
厄災除け、地域安全、家内安全、五穀豊穣

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國中神社(くになかじんじゃ)は、福井県越前市国中町にある神社。北陸本線の鯖江駅の東約6キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「国中神社二座(越前国・今立郡)」に比定される式内社(小社)のうちの一座。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。越前国の中央に位置し、国中の社号はそこから。越の国魂の神を祀る。国内神名帳には従一位国中大明神とある。
往昔より国司・郡宰が信仰し、神地を寄付し、社領70町あまり、当郡第一の社とされた。もとは当社の北西にある三里山の山上に二座が鎮座していた。
七堂伽藍を具備し、奉仕の社僧も多かったが、延元(1336年-1340年)・天正年間(1573年-1593年)の兵火で衰微した。
現在は、二つの神社に分かれており、もう一つは中津山町に鎮座する。いずれも旧南北中津山村に位置している。中津山とは、「中ツ山」。やはり中央である。
旧中山郷10ヶ村あまりの総社、氏神として崇敬され、明治になり、旧敦賀県の時に村社に列し、明治12年(1879年)、郷社に昇格した。
御祭神は越比古神。越比賣神を配祀する。明治42年、西庄境区村社国中神社(彦火火出見尊)を合祀した。神紋は五三の桐。例祭は10月11日。
当社には、往昔より泰澄大師の作と伝わる獅子頭二頭、猿田彦命の面一面、三叉剱一振がある。六日獅子と称し、例年の大祭前8月6日、これらを社頭に出し、神酒を供える。
いわゆる獅子渡で、旧北中津山村の若者らが軽装、足袋、はだしで各種の鳴物や松明を手にして社頭に集まり、一人が獅子頭を冠し、笛太鼓に和して舞う。
やがて獅子は疾走を始めようとするが、多くの若者が鳴物を鳴らし、松明を打ち振り、その前面を遮り、これを止めようとする。獅子はますます荒れ狂う。
両者の争いの後、ついに若者らを振り切り、獅子は村内に突入。若者らは大声を出してこれを追い、あるいは舞い、あるいは疾走して村内を巡る。
また、往古より「宮の構」と称するものがある。正月17日に行事があるため、俗に「十七日構」とも呼ばれる。
いわゆる「惣田正月十七日講」である。直会で山盛りのゴボウ料理を食べることから「ごんぼ講」「ごぼう講」の名称で広く知られる。
講に加入している講人は、江戸時代から書き継がれている講宿帳の順番に従って当番を務める。当番の家が講宿となり、座敷の床の間に設けられた神座に神を迎える。
講人みなで1年の豊作を祈願し、神事を終えると、約300キロのゴボウを使って、1日がかりで調理された料理と、五合盛の物相飯で直会する。
当社へ向う県道に、長径67センチ、短径60センチ、高さ50センチの当社社宝「国中の要石」という石が安置されている。
その石が、越前国の中心を位置する、あるいは太閤検地の際の測地の基準となったものだと伝わる。
【ご利益】
厄災除け、地域安全、家内安全、五穀豊穣

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