秘薬?反魂丹と富山の薬売りの祖、境内に機織神祀る呉羽社
[住所]富山県富山市茶屋町7511
[電話]076-431-7270

豊栄稲荷神社(とよさかいなりじんじゃ)は、富山県富山市茶屋町にある神社。近代社格では村社。富山駅の西約5キロ、神通川を渡り、呉羽山公園の南端。参拝すれば、御朱印を頂ける。

社伝によれば、江戸時代中期の宝永元年(1704年)、富山藩2代藩主前田正甫が、千石蔵(現在の千石町)の隣接地(旧星井町稲荷高)に社殿を造営したのが始まり。

伏見稲荷大社の御分霊を祀り、富山藩の五穀豊穣と殖産振興を祈願したのが起源で、以降歴代の藩主が奉斎した藩祭の社となった。

前田正甫は「江戸城腹痛事件」で有名な富山反魂丹を開発し富山の薬売りを全国的に展開させた人物として知られる。富山の薬売りの祖。

「江戸城腹痛事件」とは、江戸城で腹痛になった陸奥三春藩の3代藩主秋田輝季に前田正甫が富山の反魂丹を与えたところ、たちまち回復したという事件である。

明治になって前田家は東京へ移住したが、近隣崇敬者の手によって当社の祭祀は継承され、昭和49年(1974年)10月、現在地に社殿を造営し、遷座した。

御祭神は稲荷大神。当社では第一神として宇迦乃魂神、第二神として佐太彦神、第三神として大宮乃売神を祀る。

例祭は初秋の陵例大祭がある。1月7日には七草祭があり、供えた七草を神職が神前で歌を歌いながら包丁でこま切りにして調理する。祭礼終了後、七草粥が振舞われる。

境内摂社に成就天満宮(菅原道真公)がある。9代藩主前田利幹が前田家の祖として奉斎したと伝わる。

また、薬祖社では、少彦名命・前田正甫命・前田利保命(10代藩主)・万代常閑命・日比野古兵衛命・松井屋源右衛門命・八重崎屋源六命を祀る。

万代常閑命は備前岡山の医師で、富山に反魂丹の処方を伝えた。日比野古兵衛命は反魂胆の処方を正甫へ取り次いだ。

松井屋右衛門宗弘命が製薬を担当し、八重崎屋源六命は配置業者の祖。医学の神と富山売薬・医薬の発展に関係する神々。

祖神社(天照大神)と、呉羽社(秦伊呂具公・呉服女神・綾服女神)がある。呉服女神・綾服女神が当社のイメージキャラクター「クレちゃん・アヤちゃん」のモデル。

秦伊呂具(はたのいろぐ)は「稲荷社神主家大西(秦)氏系図」に賀茂建角身命24世賀茂県主の末子とあるという。

当社ではこの秦伊呂具が日本に一緒に連れてきたのが呉服女神・綾服女神であり、当地に機織りを伝えたとされている。

『日本書紀』では、第15代応神天皇の御代、阿知使主と都加使主を呉に派遣して縫工女を求めさせ、呉の王から、縫女の兄媛、弟媛、呉織、穴織の四人を与えた、とある。

なお、『式内社調査報告』に、式内社「多久比禮志神社/多久比礼志神社」の論社として、市内五福の呉服神社が記載されているが、当地隣接の五福にそのような神社はない。

そのため、当社境内のこの呉羽社が、いわゆる「五福の呉服神社」ではないか、とされる場合がある。

どちらにしろ、当地の呉羽山一帯では、応神天皇の時に渡来して呉羽山に住み、綾絹を織る技術を教えた、呉服女と綾服女を信仰されていたことは間違いない、という。

ちなみに、式内社「多久比禮志神社」の論社は他に、市内塩の式内同名神社、呉羽町の姉倉比賣神社、黒瀬北町の日宮神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、産業振興、交通安全、諸芸上達(公式HP
豊栄稲荷神社 富山県富山市茶屋町
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