式内・多久比禮志神社とも、黒瀬時重ゆかり、もとは手向神社
日宮神社 富山県富山市黒瀬北町2-14
[住所]富山県富山市黒瀬北町2-14
[電話]-

日宮神社(ひのみやじんじゃ)は、富山県富山市黒瀬北町にある神社。富山地鉄上滝線の南と山駅の西約2キロ、国道359号線を進む。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「多久比禮志神社/多久比礼志神社(越中国・婦負郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

神通川が熊野川や土川に分岐する近くで、当社は熊野川・土川の東岸。南には北陸自動車道の富山インターチェンジがある。

創祀年代は不詳。御神体は金鏡で、「五ケ山の瑪瑙山」から当地の松に飛び移って来たと伝えられる。

平安時代中期の第62代村上天皇、勅令により社殿を造営し、神領として400石を賜った。「五ケ山の瑪瑙山」は不詳だが、当社南西50キロに五箇山がある。

当社の東、長野市には瑪瑙山があるが、関連は不明。南北朝時代には、南北朝時代には黒瀬時重の娘である黒瀬女が専心奉仕していたという。

黒瀬時重は不詳だが、南北朝時代の武将である桃井直常の母、あるいは妻が、黒瀬時重の娘とされている。

戦国時代に兵火にかかり、さらに神通川の東遷に伴い、神領を失って衰微。その後、氏子集落が黒瀬、下黒瀬、島黒瀬に分かれ島黒瀬は神通川の西となり婦中町に変わった。

黒瀬、下黒瀬にそれぞれ日宮社、神明社が存在したが、明治43年(1910年)、黒瀬の現在地に合祀され、手向神社と称した。

村社に列し、昭和7年(1932年)、神饌幣帛料供進社に指定されて指定村社となった。昭和23年(1948年)、現社号に改称した。

『越中志徴』が当社を式内比定している。『式内社調査報告』によれば、「多久比禮」は白い𣑥(たく)の領布(ひれ)と解し、神通川の河原を表わしている、という。

ただし、村上天皇の御代が創祀であれば、それは『延喜式』の後のこととなり、式内社とはなりえない。

式内社「多久比禮志神社」の論社は他に、市内塩の式内同名神社、呉羽町の姉倉比賣神社、五福の呉服神社がある。

ただし、五福には現在、呉服神社はない。五福に隣接する茶屋町の豊栄稲荷神社の境内末社に呉羽社があるが、関係は不明。

御祭神は、日宮神社が天照皇大神天穗日命。合祀している諏訪社が建南方刀美命、神明社が豊受皇大神。例祭は4月第2日曜日が春季例祭、10月10日が秋季例祭。

【ご利益】
開運招福、一族・子孫繁栄、五穀豊穣、厄災除け
日宮神社 富山県富山市黒瀬北町
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