八河江比売神を祀る、往時は巨大な川人山鞍馬寺西宝院が別当
[住所]富山県高岡市福岡町赤丸5324
[電話]0766-31-0267

浅井神社(あさいじんじゃ)は、富山県高岡市福岡町赤丸にある神社。あいの風とやま鉄道の西高岡駅の北西約4.2キロ、小矢部川を渡る。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「淺井神社(越中国・砺波郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。赤丸浅井神社とも。

第7代孝霊天皇の御代、八河江比売神の御分霊が勧請されたのが始まりとされる。あるいは第42代文武天皇の第2皇子である石川朝臣広成によって創建されたとも。

八河江比売神は、『古事記』にのみ記載される女神で、葦那陀迦神(あしなだかのかみ)の別名。大国主命の子孫の系譜に名のみ登場する。

また、第15代応神天皇の妃に宮主矢河枝比売がいる。八河江比売神と宮主矢河枝比売はもとより名前の共通性が指摘されるが、当地との関係は不明。

奈良時代初期の養老元年(717年)、行基菩薩が別当寺として毘沙門天を本尊とする川人山鞍馬寺を開いた。

別説に、泰澄が草庵を結び、それが鞍馬寺になったともされる。どちらにしろ、最盛期には48坊を擁する大寺として、大きな影響力があったという。

式内社「浅井神社」は、天平宝字3年(759年)11月14日の越中国砺波郡石粟村官施入田地図に記載されている。

論社は他に、当社北東わずか600メートルの石堤に同名神社があり、至近のため、往時の式内論争は激しかったとも伝わる。

南北朝時代、第96代後醍醐天皇の皇子である宗良親王が赤丸城に入ると、当社を崇敬し、境内に末社7社を勧請した。

その当時、別当寺だった鞍馬寺西宝院は五位庄から各戸玄米1升ずつを取りまとめ、親王に献上していたと伝わる。

境内の前は、加賀国府と伏木の越中国府とを結ぶ古代の官道が通り、江戸時代の宿場町にあたる川人駅(川合駅)が設置された。

当社はその鎮守として庇護され、五位庄53ヶ村の惣社だったと考えられている。江戸時代には57ヶ村となり、川人明神と呼ばれた。神官は代々川人家が世襲した。

川人権現・三社権現などとも呼ばれたが、明治になり、現社号に改称、新たに高皇産霊神も併せて祀られ、郷社に列した。例祭は9月19日で例大祭。

また、天照大御神誉田別命伊弉諾命菅原道真健御名方命金山彦命金山媛命大山咋命木花咲夜比売命白山媛命を合祀した。

200メートルほど続く長い参道の両脇には、江戸時代に整備されたという樹齢200-400年の杉並木が続く。

境内にも巨木が多く、推定樹齢1000年、幹周6.4メートルのけやき(欅)は、杉並木とともに、市の天然記念物に指定されている。

また、推定樹齢1200年以上の大けやきは、幹周9.3メートル、樹高20メートルを誇り、県の天然記念物に指定されている。

【ご利益】
五穀豊穣、厄災除け、地域安全、家内安全
浅井神社 富山県高岡市福岡町赤丸
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