八乙女山の神陵、南北朝期に八幡勧請、井波八幡宮の旧地
大森神社 富山県南砺市谷724
[住所]富山県南砺市谷724
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大森神社(おおもりじんじゃ)は、富山県南砺市谷にある神社。城端線の福野駅の南東約6.3キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「荊波神社(越中国・砺波郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。往古、八乙女山山頂近くの神陵と崇められた双陵に向って正面、山斐郷西井波の地内、谷に鎮座していたという。

この双陵は荊塚ともいわれ、また古く鳥居が並び立っていたことから二有鳥居塚とも呼ばれ、後の人がそれを誤って二羽鳥塚、鶏塚とも呼ばれたという。

西井波や荊塚が式内根拠だろうか。また、その頃の谷の社地が大樹が鬱蒼としていたから大森と呼ばれるようになったという。

南北朝時代末期の明徳4年(1393年)頃、山城国綴喜郡男山八幡を勧請し、本殿を建築して以降、八幡宮と称されるようになった。

伝承によれば、安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、当地に七日七夜の大驟雨があり、前述の神陵が崩れて、神代文字を刻んだ石鏡と石槌柄が出土したという。

その後、山麓に栄えた天台宗の中心、止観寺の本尊、伝泰澄大師作と伝わる薬師如来が薬師大明神として合祀されたと伝承されている。

江戸時代前期の正保2年(1645年)、近郷45ヶ村の惣社であった当社は、井波城跡の東井波に、井波八幡宮として奉遷された。

奉遷後も、現在地での祭祀は続き、明治になり、村社に列した。御祭神は誉田別命

鳥居の左には不動明王を彫った石が置かれている。境内に入ると右に、注連縄が張られた「谷公民館」がある。

拝殿、幣殿、本殿と社殿が繋がっており、地震対策か、それぞれパイプで支えている。左手に倉庫のような建物がある。

なお、式内社「荊波神社」の論社は多く、他に、南砺市砺波市高岡市の式内同名神社、桐木の神明宮、小矢部市の臼谷の八幡宮、矢波の巖谷門神社がある。

【ご利益】
厄災除け、地域安全、家内安全
大森神社 富山県南砺市谷
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