『万葉集』荊波の里(やぶなみのさと)か、十禅師大明神
[住所]富山県高岡市和田954
[電話]-
荊波神社(うばらじんじゃ)は、富山県高岡市和田にある神社。あいの風とやま鉄道の高岡やぶなみ駅の近く。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「荊波神社(越中国・砺波郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。『万葉集』の「夜夫奈美能佐刀(荊波の里)」に鎮座し、境内には現在、大友家持の下記の歌の歌碑がある。
式内社「荊波神社」は、奈良時代の天平宝宇3年(759年)に描かれた越中国礪波郡石栗村官施入田地図に「荊波神 一段 七十二歩」と記載されている。
式内社「荊波神社」は通常、「うばら」と読むが、「やぶはら」「やぶなみ」とも読まれた。ただし、「荊波神社」の名称は、『延喜式』以降の古典では登場しなくなる。
社頭案内によれば、福田郷の惣社として崇敬された。鎌倉時代になると、比叡山妙法院の管理下になった。以降、十禅師大明神と呼ばれたようだ。
比叡山日吉大社では、十禅師は樹下宮のことで、御祭神は鴨玉依姫神だが、現在までに当社では祀られていない。
安土桃山時代の文禄2年(1593年)、前田利長が当社へ祈祷を命じた古文書が現存する。市の文化財に指定されている。
御祭神は天津彦火瓊々杵尊・大己貴命・天照皇大神。南砺市と砺波市にも同名神社が存在するが、当社のみ、日子刺肩別命を御祭神としていない。
神紋は、当社の社家が榊原氏のためか、「榊原源氏車に荊の字」である。
なお、式内社「荊波神社」の論社は多く、先の南砺市と砺波市の同名神社の他、南砺市桐木の神明宮、谷の大森神社とその後継の井波の八幡宮、小矢部市の臼谷の八幡宮、矢波の巖谷門神社がある。
【ご利益】
開運招福、事業成功、商売繁盛、縁結び
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荊波神社(うばらじんじゃ)は、富山県高岡市和田にある神社。あいの風とやま鉄道の高岡やぶなみ駅の近く。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「荊波神社(越中国・砺波郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。『万葉集』の「夜夫奈美能佐刀(荊波の里)」に鎮座し、境内には現在、大友家持の下記の歌の歌碑がある。
薮波の 里に宿借り 春雨に 隠りつつむと 妹に告げつや最寄り駅名の「高岡やぶなみ」はもちろん、この『万葉集』記載の歌に由来するが、路線名の「あいの風」もやはり『万葉集』に由来する。
式内社「荊波神社」は、奈良時代の天平宝宇3年(759年)に描かれた越中国礪波郡石栗村官施入田地図に「荊波神 一段 七十二歩」と記載されている。
式内社「荊波神社」は通常、「うばら」と読むが、「やぶはら」「やぶなみ」とも読まれた。ただし、「荊波神社」の名称は、『延喜式』以降の古典では登場しなくなる。
社頭案内によれば、福田郷の惣社として崇敬された。鎌倉時代になると、比叡山妙法院の管理下になった。以降、十禅師大明神と呼ばれたようだ。
比叡山日吉大社では、十禅師は樹下宮のことで、御祭神は鴨玉依姫神だが、現在までに当社では祀られていない。
安土桃山時代の文禄2年(1593年)、前田利長が当社へ祈祷を命じた古文書が現存する。市の文化財に指定されている。
御祭神は天津彦火瓊々杵尊・大己貴命・天照皇大神。南砺市と砺波市にも同名神社が存在するが、当社のみ、日子刺肩別命を御祭神としていない。
神紋は、当社の社家が榊原氏のためか、「榊原源氏車に荊の字」である。
なお、式内社「荊波神社」の論社は多く、先の南砺市と砺波市の同名神社の他、南砺市桐木の神明宮、谷の大森神社とその後継の井波の八幡宮、小矢部市の臼谷の八幡宮、矢波の巖谷門神社がある。
【ご利益】
開運招福、事業成功、商売繁盛、縁結び
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