一向一揆拠点の瑞泉寺・井波城址、式内後継とも、5月によいやさ祭り
[住所]富山県南砺市井波3053
[電話]0763-82-0104

井波八幡宮(いなみはちまんぐう)は、富山県南砺市井波にある神社。城端線の福野駅の南東約6キロ。近代社格では郷社。正式には八幡宮のみ。参拝すれば、御朱印を頂ける。

当地は南北朝時代、本願寺五世綽如上人が建立した瑞泉寺の古跡である。綽如上人は「此地に霊水あり、故に瑞泉寺と称す」と記した。

現在の瑞泉寺は、当社の西側。当社境内の左手には綽如上人瑞泉寺創立之霊跡、霊水・臼浪水がある。

瑞泉寺は一向一揆の拠点となり、寺の周囲に土塁や外堀を築いて利波城、あるいは井波城と呼ばれた。

安土桃山時代の天正9年(1581年)、佐々成政に攻められ、町家とともに兵火にかかった。その後、成政の家臣前野小兵衛が入って、城として整備された。

瑞泉寺阿弥陀堂跡が本丸、祖師堂跡が二ノ丸、太鼓堂跡が三ノ丸になったが、天正13年(1585年)には前田利家に攻められて落城した。

江戸時代前期の正保2年(1645年)、近郷48ヶ村の惣社だった谷鎮座の大森神社を東井波に奉遷すると決まり、現在地の古城本丸西土居の上に遷座した。

明暦3年(1657年)には西土居を切抜いて道が開かれた。幕末の嘉永5年(1852年)には本殿が、翌嘉永6年(1853年)には拝殿が造営された。

大森神社が『延喜式神名帳』にある「荊波神社(越中国・砺波郡)」に比定される式内社(小社)の論社で、当社はその後継社という位置づけになる。

明治6年(1873年)、村社に列し、明治18年(1885年)には郷社に昇格した。御祭神は、応神天皇神功皇后仲哀天皇

現在までに、天照皇大神3柱、誉田別命・諏訪大明神・菅原道真金山彦神を合祀している。例祭は5月3日と10月3日。

5月3日の春季例大祭はよいやさ祭りとして知られる。江戸時代後期の天保4年(1833年)に始まり、伏見稲荷大社の大祭の形式を伝えているという。

男衆が「よいやさ、よいやさ」という勇ましい掛け声とともに、四角屋根の「一の輿」、八角屋根の「二の輿」、六角屋根の「三の輿」の計3基の大神輿を担ぐ。

大神輿は3基の子供神輿とともに1日かけて井波地域中心部を回り、獅子舞と屋体も巡行する。

境内社に蚕堂(かいこどう)がある。当地は江戸時代、蚕種業で発展した町で、文久元年(1861年)に創祀された。「こがいさま」という蚕の霊を祀る。

その社殿は、井波の宮大工である松井角平が建造した。小さな堂だが、見事な木組みと細工が施され、随所に井波大工の技が見受けられる。市指定文化財。

社殿左手には神明宮が鎮座する。また、井波城二ノ丸跡には昭和13年(1938年)創祀の招魂社が鎮座する。

御神木の大杉(スギ)は樹高36メートル、目通り幹囲5.9メートル。なお、当社の宮司家は政治家の綿貫民輔の実家であり、参道脇に広々とした社務所兼自宅がある。

なお、式内社「荊波神社」の論社は多く、他に、南砺市砺波市高岡市の式内同名神社、南砺市桐木の神明宮、小矢部市の臼谷の八幡宮、矢波の巖谷門神社がある。

【ご利益】
厄災除け、安産、諸願成就
井波八幡宮 富山県南砺市井波
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