もとは草岡神社、歴代領主からの崇敬、江戸中期の本殿、武者行列
[住所]富山県射水市戸破3943
[電話]0766-56-0487
加茂社(かもしゃ)は、富山県射水市戸破(ひばり)にある神社。あいの風とやま鉄道線の小杉駅の東約700メートル。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「草岡神社(越中国・射水郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。戸破加茂社とも。
創祀年代は不詳。寛治4年(1090年)7月13日、第73代堀河天皇の夢想により、山城国加茂社の供御田として、全国各地から田地が寄進された。
当地の倉垣庄もその一つで、そのため倉垣庄には多くの加茂社が勧請されたが、当社もその中の一つという説もある。
ただ、これでは延長5年(927年)編纂の『延喜式』の後のことであり、式内社たりえない。それ以前から祭祀が行われ、もとは式内社名で呼ばれていた、ともされる。
歴代領主から崇敬、庇護され、特に戦国時代には能登国守護代温井景久の守護神として篤く崇敬された。
安土桃山時代の天正10年(1582年)、織田方の佐久間盛政や前田利家との戦いに敗れ、温井家は没落、慶長4年(1599年)、現在地に遷座した。
草岡神社加茂大明神とも呼ばれたが、昭和初期に戸破地内の10社を合祀、現社号に改称し、昭和18年(1943年)には郷社に列した。
御祭神は別雷神。天照皇大神・豊受皇大神・建御名方命・高龗神・闇靇神・市杵嶋姫命・宇迦御霊神・大宮売命・猿田彦命・大名牟遲神を合祀している。
例祭は11月1日・2日で秋季例祭。以前はうっ蒼とした鎮守の森の中で、草けいばや流鏑馬が行われていた。現在は春季大祭に御神輿武者行列が優雅に町を練り回る。
現在の本殿は江戸時代中期の元文5年(1740年)に再建されたもので、一間社流造、こけら葺き、1間向拝付き。市指定有形文化財である。
その他にも社宝が多く、木造獅子頭、鰐口、加賀藩旧本陣座敷、加茂社神事馬場跡が市指定文化財である。
なお、式内社「草岡神社」の論社は他に、市内古明神の式内同名神社、氷見市一勿の高階社と八幡宮がある。
【ご利益】
五穀豊穣、身体壮健、無病息災、開運招福
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加茂社(かもしゃ)は、富山県射水市戸破(ひばり)にある神社。あいの風とやま鉄道線の小杉駅の東約700メートル。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「草岡神社(越中国・射水郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。戸破加茂社とも。
創祀年代は不詳。寛治4年(1090年)7月13日、第73代堀河天皇の夢想により、山城国加茂社の供御田として、全国各地から田地が寄進された。
当地の倉垣庄もその一つで、そのため倉垣庄には多くの加茂社が勧請されたが、当社もその中の一つという説もある。
ただ、これでは延長5年(927年)編纂の『延喜式』の後のことであり、式内社たりえない。それ以前から祭祀が行われ、もとは式内社名で呼ばれていた、ともされる。
歴代領主から崇敬、庇護され、特に戦国時代には能登国守護代温井景久の守護神として篤く崇敬された。
安土桃山時代の天正10年(1582年)、織田方の佐久間盛政や前田利家との戦いに敗れ、温井家は没落、慶長4年(1599年)、現在地に遷座した。
草岡神社加茂大明神とも呼ばれたが、昭和初期に戸破地内の10社を合祀、現社号に改称し、昭和18年(1943年)には郷社に列した。
御祭神は別雷神。天照皇大神・豊受皇大神・建御名方命・高龗神・闇靇神・市杵嶋姫命・宇迦御霊神・大宮売命・猿田彦命・大名牟遲神を合祀している。
例祭は11月1日・2日で秋季例祭。以前はうっ蒼とした鎮守の森の中で、草けいばや流鏑馬が行われていた。現在は春季大祭に御神輿武者行列が優雅に町を練り回る。
現在の本殿は江戸時代中期の元文5年(1740年)に再建されたもので、一間社流造、こけら葺き、1間向拝付き。市指定有形文化財である。
その他にも社宝が多く、木造獅子頭、鰐口、加賀藩旧本陣座敷、加茂社神事馬場跡が市指定文化財である。
なお、式内社「草岡神社」の論社は他に、市内古明神の式内同名神社、氷見市一勿の高階社と八幡宮がある。
【ご利益】
五穀豊穣、身体壮健、無病息災、開運招福
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