天平の勧請、大伴家持が奉幣、もとは久目神社とも、大浦獅子
[住所]富山県氷見市大浦1804
[電話]0766-72-1843
日宮神社(ひのみやじんじゃ)は、富山県氷見市大浦にある神社。氷見線の氷見駅の南西約3.5キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「久目神社(越中国・射水郡)」に比定される式内社(小社)の参考社。近代社格では村社。日ノ宮神社・日の宮神社とも。
社伝によれば、奈良時代の天平年間(729年-749年)の勧請。大伴家持が当地に訪問の折、御神鏡、幣帛を奉献し、以下の歌を詠んだと伝えられている。
式内社「久目神社」の論社、というよりもほぼ確定しているものに、市内久目の式内同名神社がある。
明治までは日宮社と称していたが、明治43年(1910年)4月、現社号に改称した。御祭神は天照大神。
現社号に改称した明治43年には熊野社(速玉男命)、昭和6年(1931年)には市姫(市杵嶋姫命)、諏訪社(建御名方命)を合祀した。
例祭は、4月12日が春季例祭、9月14日が秋季例祭。春祭りに獅子舞が舞われる。耳まで赤い大型の獅子頭には大きな金の角が生えている。
宿では、地面に敷いた藁に火を着け、その周りで獅子と天狗が相対するように舞われる「タツブリ」などがある。「大浦獅子」として知られる。
拝殿右に鳥居がポツンとある。諸説あるが、氷見市街にあった酒造店の店主が夢見で、当地に神を祀るよう言われて祀ったものだという。
もとはその鳥居の先に祠があったというが、今は跡のみ。酒造店は後に薬屋に転じ、その頃病気に効く薬を占うおみくじがあり、おみくじを持ってその薬屋に行ったという。
現在は代が進み、参拝も祭りも途絶えたといい、本殿にも合祀されていないという。
【ご利益】
開運招福、武運長久・勝運、商売繁盛、無病息災

【関連記事】
・富山県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、富山県に鎮座している神社の一覧
[電話]0766-72-1843
日宮神社(ひのみやじんじゃ)は、富山県氷見市大浦にある神社。氷見線の氷見駅の南西約3.5キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「久目神社(越中国・射水郡)」に比定される式内社(小社)の参考社。近代社格では村社。日ノ宮神社・日の宮神社とも。
社伝によれば、奈良時代の天平年間(729年-749年)の勧請。大伴家持が当地に訪問の折、御神鏡、幣帛を奉献し、以下の歌を詠んだと伝えられている。
久目神爾君賀千年遠祈留良牟耳浦爾都久在明之月歌にあるように、古来、久目神社と称していたようだ。ただし『式内社調査報告』には当社の記載は特にない。
式内社「久目神社」の論社、というよりもほぼ確定しているものに、市内久目の式内同名神社がある。
明治までは日宮社と称していたが、明治43年(1910年)4月、現社号に改称した。御祭神は天照大神。
現社号に改称した明治43年には熊野社(速玉男命)、昭和6年(1931年)には市姫(市杵嶋姫命)、諏訪社(建御名方命)を合祀した。
例祭は、4月12日が春季例祭、9月14日が秋季例祭。春祭りに獅子舞が舞われる。耳まで赤い大型の獅子頭には大きな金の角が生えている。
宿では、地面に敷いた藁に火を着け、その周りで獅子と天狗が相対するように舞われる「タツブリ」などがある。「大浦獅子」として知られる。
拝殿右に鳥居がポツンとある。諸説あるが、氷見市街にあった酒造店の店主が夢見で、当地に神を祀るよう言われて祀ったものだという。
もとはその鳥居の先に祠があったというが、今は跡のみ。酒造店は後に薬屋に転じ、その頃病気に効く薬を占うおみくじがあり、おみくじを持ってその薬屋に行ったという。
現在は代が進み、参拝も祭りも途絶えたといい、本殿にも合祀されていないという。
【ご利益】
開運招福、武運長久・勝運、商売繁盛、無病息災

【関連記事】
・富山県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、富山県に鎮座している神社の一覧
コメント