しゃべらない垂仁皇子、出雲の神を奉斎して創祀、吾蔓大明神とも
阿豆良神社 愛知県一宮市あずら1-7-19
[住所]愛知県一宮市あずら1-7-19
[電話]-

阿豆良神社(あずらじんじゃ)は、愛知県一宮市あずらにある神社。東海道本線の尾張一宮駅の南東約4キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「阿豆良神社(尾張国・丹羽郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創祀年代は第11代垂仁天皇57年とされる。御祭神は天甕津日女命(天甕津媛命・阿麻彌加都比女)。『出雲国風土記』に登場する女神である。

第11代垂仁天皇の皇子品津別皇子は、7歳になっても言葉が話せなかった。皇后の夢の中に天甕津媛命が現れ、下記のように託宣した。
今まで私を誰も祀ってくれない。祠を立て神に祭るなら、皇子は言葉を話せるようになり、天寿を全うするだろう
そこで垂仁天皇は臣下である建岡君に、天甕津媛命を探し出すように命じた。建岡君は美濃国花鹿山に登り、榊の枝で縵(あずら)を作って神に祈った。

そして、「此の縵の落ちた所が神を祭る所であろう」と言うと、縵を遠く投げたという。この縵が落ちた地に創建されたのが当社だという。

『古事記』にも品津別皇子が話せるようになるまでの説話は掲載されているが、違う話。花鹿山麓には、当社神と同一の御祭神を祀る花長上神社がある。

花長上神社の南約3キロほどの地には、花長下神社があり、天甕津媛命の夫ともされる赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかふすまいぬおおすみひこさわきのみこと)を祀る。

花長上神社と花長下神社も出雲色が強い神社として知られている。当社名の阿豆良は、この縵から転じたといわれている。

『尾張国内神名牒』には「吾蔓明神」と記載され、南北朝時代の貞治3年(1364年)には従一位に進んだという。

戦国時代の永禄7年(1564年)、戦乱のため焼失するが、安土桃山時代の天正15年(1587年)に再建された。

もとは現在地の北約200メートル付近に鎮座した、とも、現在地の北約1キロの縄文時代から古墳時代の祭祀遺跡である馬見塚遺跡に鎮座した、とも。

北約200メートルの地には石碑が残る。遷座時期は不詳とされるが、天正の再建時に、現在地に遷座したとされる。

江戸時代は「吾蔓大明神」と称されていたが、明治5年(1872年)、現社号に復し、郷社に列した。

明治40年(1907年)10月26日、神饌幣帛料供進社に指定された。現在までに倭姫命を配祀する。例祭は10月24日。

境内社に、神宮司社・国府宮社、津島社・二宮社・一宮社・秋葉社、白山社・天神社、金刀比羅社・熊野社、稲荷社・八幡社・熱田皇太神宮社・天照皇大神宮社がある。

このうち、神宮司社では、当社創建に関わった建岡君を祀るという。

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阿豆良神社 愛知県一宮市あずら
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