式内・比奈守神社とも、要衝の長森鎮守、4月に勇壮な火祭
[住所]岐阜県岐阜市蔵前6-8-22
[電話]058-245-2520

手力雄神社(てぢからおおじんじゃ)は、岐阜県岐阜市蔵前にある神社。名鉄各務原線の手力駅の南約300メートル。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「比奈守神社(美濃国・厚見郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。長森手力雄神社とも。

平安時代前期の貞観2年(860年)9月14日、鎮座したと伝わる。朝廷の宮中の御祭神を分祀したもので、もとは伊勢の神宮(伊勢神宮)の天手力雄神であるという。

『新撰美濃誌』によれば、式内社「比奈守神社」について、「今手力雄神社といふ」とある。他の論社に、茜部本郷の式内同名神社がある。

長森と呼ばれた当地は戦略上の要所で、木曽川渡河点は当地以外になく、尾張以東の東海道の軍勢が京に上るには、この場所で木曽川を渡るしかなかった。

戦国時代の弘治年間(1555年-1558年)、斎藤氏の祈願所となった。安土桃山時代の慶長年間(1595年-1614年)には織田中納言秀信の祈願所となった。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにおいて、織田氏が西軍に就いたため、東軍により焼失させられたが、江戸時代初期の元和2年(1616年)には本殿が再建された。

明治4年(1872年)、郷社に列し、明治13年(1881年)には幣殿・拝殿が再度造営された。現在の社殿は平成20年(2008年)の新築である。

例祭は4月第2土曜日で春の大祭、いわゆる手力の火祭。明和年間(1764年-1772年)に一時中絶した記録があるため、それ以前からの伝統である。

中絶後は文化2年(1805年)に復活したとされ、当時は手花火・カラクリ・立火などが行われていたという。

祭りは、神前祭、巫女の舞、神輿渡御、長持宮入、かざり神輿営入、御神灯点火(御幣行灯)、滝花火点火(火瀑)、舞花火点火、山焼きの順で行われる。

中でも、滝花火の下で各町内のかざり神輿がみそぎを受けるさまは、男らしさに満ちた勇壮なものとして定評がある。県の重要無形民俗文化財に指定されている。

毎年8月第2日曜日には、岐阜市観光コンベンション課により「長良川水と火の祭典.手力の火祭・夏」が長良川河川敷で開催されている。

三の鳥居は朱塗りで、道路の半分を占める。道路は当社の参道で、私道。祭礼に使用しない時は市民に開放されている。

二の鳥居は石造で、中山道と当社参道との境。一の鳥居は、はるか大垣市赤坂にあるとされる。中山道が開設当時、美濃赤坂から鵜沼まで舟航であった時代の名残だという。

木造僧形神像と神酒壺が市の文化財に指定されている。

【ご利益】
身体壮健、武運長久・勝運、無病息災、厄災除け
手力雄神社 岐阜県岐阜市蔵前
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