美濃・尾張一宮を合祀、秀吉ゆかり、10月例祭で木曽川まで御神幸
[住所]岐阜県各務原市鵜沼山崎町1-106
[電話]058-384-0172

村国真墨田神社(むらくにますみだじんじゃ)は、岐阜県各務原市鵜沼山崎町にある神社。高山本線の鵜沼駅の西約500メートル。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「村國眞墨田神社(美濃国・各務郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。各務原市内金幣五社の一社。

飛鳥時代、当地を支配していた豪族村国氏(村國氏)が美濃国一宮南宮大社金山彦命)と尾張国一宮の真清田神社天火明命)を合祀して創建した。

後に、壬申の乱で活躍し、第40代天武天皇に抜擢された村国男依を御祭神として合祀した。創建当時は、現在地の南数百メートル、現在の木曽川沿いにあった。

その旧地は現在は御旅所になっている。室町時代の永享年間(1429年-1440年)、土岐氏に仕えた大沢利治が鵜沼城を築城した。

その後、当社は大沢氏の守護神となり、鵜沼城の城下に移転した。戦国時代の永禄7年(1564年)、織田信長は木下藤吉郎に、鵜沼城と伊木山城の攻略を命じた。

しかし、城主の大沢治郎左衛門の抵抗は強く、攻め落としに難航した。木下藤吉郎の調略に対し、大沢治郎左衛門は応ずることで鵜沼城は明け渡された。

その後鵜沼城は犬山城城主の池田恒興の配下となった。池田恒興が国替えになった後、中川定成が犬山城主となり、鵜沼城はその配下となった。

安土桃山時代の天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いで、池田恒興は鵜沼城を拠点に、犬山城攻略を行った。

この際、犬山城攻略に協力をした河村惣六が、羽柴秀吉の許可を受け、鵜沼城の城下にあった当社を現在地に移転した。

江戸時代になり、南宮大権現・南宮大明神村国宮などと呼ばれた。江戸時代中期の寛政4年(1792年)、幕末の安政2年(1855年)に社殿が造営された。

安政2年、現社号に復した。大正5年(1916年)、拝殿が造営された。現在までに御祭神は、金山彦命・天火明命・彦火火出見命罔象女命・村国男依。

例祭は10月第2日曜日で例大察。旧地の御旅所まで、屋形を先頭に、鵜沼各地の子供御輿が参加して御神幸の儀が行われる。

社宝として、秀吉に協力した船頭河村惣六に対し、木曽川の渡河運送権を与える事を証明する秀吉自身の花押の入った文書が残る。

また、大沢氏の所蔵の刀剣があり、そのうちの一振は永正3年(1506年)、時の城主大沢和泉守正行の弟大沢二郎佐衛門正継が出家する際残した村正と伝えられている。

なお、当社同様、村国氏によって草創された式内社として、当社北西約5キロに村国神社がある。

【ご利益】
事業成功、産業振興、一族・子孫繁栄、商売繁盛
村国真墨田神社 岐阜県各務原市鵜沼山崎町
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村国真墨田神社 岐阜県各務原市鵜沼山崎町の御朱印