平安初期に疫神を退けた神、4月祭礼で蠅追男による「蠅追い神事」
阿夫志奈神社 岐阜県加茂郡川辺町上川辺1190
[住所]岐阜県加茂郡川辺町上川辺1190
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阿夫志奈神社(あぶしなじんじゃ)は、岐阜県加茂郡川辺町上川辺にある神社。飛騨川西岸、高山本線の下麻生駅から線路沿いに南西へ約1.2キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「阿夫志奈神社(美濃国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

第52代嵯峨天皇の御宇、平安時代初期の弘仁9年(818年)、疫病の流行に伴い、全国で奉斎された際に創建された一社である。

その際、伊邪那岐命伊邪那美命素盞鳴尊の神璽を奉斎し、疫神を退け、天下は安寧になったと伝わる。

そこで同年9月26日、神永洞天皇山の頂に社頭を建立し、郷民ますます穏やかになったため、当地の鎮守として崇敬されるようになった。

貞観元年(869年)11月13日、厚朴の森の地に遷座した。この際、新嘗会の儀式を斎行したという。寛平9年(897年)9月14日、御手洗水の霊験により、芳賀の地に遷座した。

鎌倉時代の建仁2年(1202年)、二階堂山城守藤原行政により社殿の改築が行われ、室町時代の永正6年(1509年)には大中臣朝臣貴安によって社殿が再建された。

戦国時代の永禄2年(1559年)、加茂山城の城主玄蕃守義直が武具や太刀、鞍等を奉納した。「阿夫階明神」「芳賀天王」などと呼ばれた。

明治6年(1873年)、郷社に列し、明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進社に指定された。例祭は4月14日。

毎年4月第3土・日曜日に祭礼が行われる。いわゆる「阿夫志奈神社祭り」。土曜日の試楽祭では笛や太鼓、鼓の音色に合わせて1両の山車が曳かれる。

日曜日の本楽祭は、猿田彦命を表しているという神男、あるいは蠅追男が榊を手に持って子どもたちを追い回し、背中をたたくとその1年は無病息災といわれている。

いわゆる「蠅追い神事」である。蠅追男と獅子のかけ合いも見物。この蠅追男については、太部古天神社祭礼での「酒買い儀式」の「沛王」との共通性が指摘される。

拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行5間、桁行3間、外壁は柱のみの吹き放し(欄間部は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は縦板張り)、本殿は一間社流造、銅板葺き。

境内社に、愛宕神社・八幡神社・金刀比羅神社・神明神社・山形神社・東照神社・稲荷神社・大須稲神社・乙姫神社・和田住神社・東武神社がある。

境内はムクロジ、イチイガシ、カゴノキ、ツブラジイ、スダジイなどの古木や大木が多く、「阿夫志奈神社境内の樹木」として、町の天然記念物に指定されている。

【ご利益】
悪疫・病魔退散、無病息災、リフレッシュ
阿夫志奈神社 岐阜県加茂郡川辺町上川辺
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