奈良初期の創建、南北朝期来の再建、平成に「絆山車」復活
[住所]岐阜県加茂郡東白川村神土693
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神田神社(かんだじんじゃ)は、岐阜県加茂郡東白川村神土にある神社。国道256号線の白川街道と、県道62号線が交わる付近。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「神田神社(美濃国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
第44代元正天皇の御代、奈良時代初期の養老2年(718年)、創建されたと伝わる。『延喜式』神名帳では神田を「カムダ」と呼んでいたという。
一説には、もとは旧神田郷の太田、現在の岐阜県美濃加茂市太田あたりに鎮座していたものが、何らかの理由で、現在地の神土の地に遷座したとも。
『平成祭データ』や『全国神社名鑑』には、『日本三代実録』貞観6年(864年)8月15日、「美濃国神田従五位上」とある。
しかしこれは美作国のもので、美濃国のことではなく、誤りとされる。『延喜式』直後の承平年間(931年-938年)以後の兵乱で衰退した。
南北朝時代の嘉慶2年(1388年)、源忠広という者が再興、修復され、神仏習合により白山妙大権現と称された。
室町時代に再び衰退したが、戦国時代の永禄元年(1558年)に安江與三衛門正次、安江新兵衛正吉などにより再興された。
慶長2年(1597年)に遠藤小八郎胤直によって再興された。造営奉行として、神土郷代官の大坪新七長吉が当たった。
江戸時代中期の享保2年(1717年)、安江清正により再建された。この清正は源忠広の後裔とされ、源忠広以降、たびたび登場する安江氏とのかかわりが深い。
江戸時代後期の『美濃国神名記』に賀茂郡座二十九社のうちの「従五位下 神田明神」とある。
明治元年(1868年)、この地域は苗木藩により廃仏毀釈が徹底的に行なわれ、白山妙大権現から現社号に改称された。
明治3年(1870年)、神祇局により式内社の認定を受け、明治4年(1871年)に苗木県の郷社、明治6年(1873年)には岐阜県の郷社となった。
同年、本殿の改築が竣工、遷座祭が行われ、下記の村内の5社を合祀、明治40年(1907年)3月27日、神饌幣帛料供進社に指定された。
・西洞の白髪神社(猿田比古命)
・中谷の中峯神社(大山祇命・水分命)
・大口の大岩神社(天照皇大神・菊理比女命)
・神付の神森神社(大雀命・火産霊命)
・中通の八幡神社(誉田別命・須佐之男命)
主祭神は、伊邪那岐命・伊邪那美命・大国主命・少彦名命・速玉男命。例祭は9月下旬で例大祭。祭事の他、獅子舞、御神酒の振る舞いなどが行なわれる。
かつては山車の引き回しが行なわれていたが、1950年代に過疎化によって中止された。平成20年(2008年)に新たに山車が「絆山車」として製作され、引き回しが復活した。
【ご利益】
夫婦和合、家内安全、病気平癒、縁結び

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神田神社(かんだじんじゃ)は、岐阜県加茂郡東白川村神土にある神社。国道256号線の白川街道と、県道62号線が交わる付近。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「神田神社(美濃国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
第44代元正天皇の御代、奈良時代初期の養老2年(718年)、創建されたと伝わる。『延喜式』神名帳では神田を「カムダ」と呼んでいたという。
一説には、もとは旧神田郷の太田、現在の岐阜県美濃加茂市太田あたりに鎮座していたものが、何らかの理由で、現在地の神土の地に遷座したとも。
『平成祭データ』や『全国神社名鑑』には、『日本三代実録』貞観6年(864年)8月15日、「美濃国神田従五位上」とある。
しかしこれは美作国のもので、美濃国のことではなく、誤りとされる。『延喜式』直後の承平年間(931年-938年)以後の兵乱で衰退した。
南北朝時代の嘉慶2年(1388年)、源忠広という者が再興、修復され、神仏習合により白山妙大権現と称された。
室町時代に再び衰退したが、戦国時代の永禄元年(1558年)に安江與三衛門正次、安江新兵衛正吉などにより再興された。
慶長2年(1597年)に遠藤小八郎胤直によって再興された。造営奉行として、神土郷代官の大坪新七長吉が当たった。
江戸時代中期の享保2年(1717年)、安江清正により再建された。この清正は源忠広の後裔とされ、源忠広以降、たびたび登場する安江氏とのかかわりが深い。
江戸時代後期の『美濃国神名記』に賀茂郡座二十九社のうちの「従五位下 神田明神」とある。
明治元年(1868年)、この地域は苗木藩により廃仏毀釈が徹底的に行なわれ、白山妙大権現から現社号に改称された。
明治3年(1870年)、神祇局により式内社の認定を受け、明治4年(1871年)に苗木県の郷社、明治6年(1873年)には岐阜県の郷社となった。
同年、本殿の改築が竣工、遷座祭が行われ、下記の村内の5社を合祀、明治40年(1907年)3月27日、神饌幣帛料供進社に指定された。
・西洞の白髪神社(猿田比古命)
・中谷の中峯神社(大山祇命・水分命)
・大口の大岩神社(天照皇大神・菊理比女命)
・神付の神森神社(大雀命・火産霊命)
・中通の八幡神社(誉田別命・須佐之男命)
主祭神は、伊邪那岐命・伊邪那美命・大国主命・少彦名命・速玉男命。例祭は9月下旬で例大祭。祭事の他、獅子舞、御神酒の振る舞いなどが行なわれる。
かつては山車の引き回しが行なわれていたが、1950年代に過疎化によって中止された。平成20年(2008年)に新たに山車が「絆山車」として製作され、引き回しが復活した。
【ご利益】
夫婦和合、家内安全、病気平癒、縁結び

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