磐余稚櫻宮跡、出雲醜大臣命・十市根命ともされる出雲色男命を祀る
[住所]奈良県桜井市池之内
[電話]-

稚桜神社(わかざくらじんじゃ、稚櫻神社)は、奈良県桜井市池之内にある神社。桜井線の香久山駅の南約2キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「若櫻神社/若桜神社(大和国・城上郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

第17代履中天皇が皇妃と磐余市磯池で遊んだ時、時ならぬ桜の花が杯に散り、物部長真膽連に花を探させた。

物部長真膽連は、ひとり掖上の室山で、桜を見つけて献上した。この桜を清水湧き出る泉のそばに植え、宮の名前も磐余稚櫻宮にしたという。

当社はその磐余稚櫻宮の跡という。磐余は履中天皇に先んじる神功皇后3年春正月、都したとも伝えられている。当社も磐余稚櫻神社とも呼ばれる。

当社は小高い丘陵にあり、ここから西北にのびる低い丘陵の上に、桜井市池ノ内、橿原市東池尻町の集落がある。

この丘陵の先端部を断ち切って戒外川(米川)を流し、その西方の字「島井」という地名があり、北方には「樋ノ口」「樋詰」「堀切」「池尻」などの地名が残されている。

つまり、若桜神社と御厨子神社の両給丘陵をうまく利用し、この丘陵の間約250メートルに堤を築いたと考えられる池の存在が確認できる。

これが磐余池だともされ、面積だと県内最大と言われる倉橋溜池に匹敵する規模の池だったことになるという。

式内社「若櫻神社」の論社は他に、先述の、当社の東北約2.5キロ、市内谷の式内同名神社がある。ただ、どちらにしろ双方とも十市郡で、城上郡ではないともされる。

安土桃山時代の文禄4年(1596年)、江戸時代前期の寛文9年(1669年)、中期の安永3年(1774年)、後期の弘化4年(1847年)、明治14年(1881年)などの棟札がある。

御祭神は、気息長足姫命・出雲色男命・去来穂別命(履中天皇)。出雲色男命は出雲醜大臣命のことで、饒速日命の孫、物部長真膽連の祖に当たる。

ただし、出雲色男命は十市根命のことともされる。物部十市根命とも呼ばれ、物部長真膽連の父である。また、本殿の左右に天満神社と高麗神社が鎮座している。

高麗神社の御祭神は、もとは神功皇后(気息長足姫命)だったが、神功皇后を本殿に合祀し、境内社であった住吉神社を高麗神社に祀り直して、武内宿禰を御祭神とした。

参道の燈籠には「天満宮」と刻まれたものがある。江戸時代中期の宝暦9年(1759年)の藤堂藩領桜井組神社改帳には「天満宮」とある。

明治25年(1892年)の「神社明細帳」には「祭神菅原道真(老松大神 紅梅大神)」と記載されており、最近まで道真が御祭神だと考えられたようだ。

境内社に、稲荷社、八坂神社、厳島神社などがある。他に、不動明王、稲荷大明神、三寶大荒神、金毘羅大権現、冨士大権現、春日大明神・八幡大菩薩なども祀られている。

【ご利益】
安産、一族・子孫繁栄、平穏安寧
稚桜神社 奈良県桜井市池之内
【関連記事】
奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧