履中天皇の磐余稚櫻宮ゆかりの地、白山権現、近くに土舞台
[住所]奈良県桜井市谷344
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若桜神社(わかざくらじんじゃ)は、奈良県桜井市谷にある神社。近鉄大阪線・桜井線の桜井駅の南約800メートル。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「若櫻神社(大和国・城上郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

谷集落西方の丘上に鎮座しする。第17代履中天皇が皇妃と磐余市磯池で遊んだ時、時ならぬ桜の花が杯に散り、物部長真膽連に花を探させた。

物部長真膽連は、ひとり掖上の室山で、桜を見つけて献上した。この桜を清水湧き出る泉のそばに植え、宮の名前も磐余稚櫻宮にしたという。

現在まで続く桜井という地名は、この故事からきている。この井戸といわれるものは、当社のすぐ近くにあったが、近年、当社境内にも復元された。

磐余稚櫻宮が定まった後、稚櫻部造と稚櫻部臣が置かれた。御祭神は伊波我加利命。伊波我牟都加利命の後裔で、若櫻部朝臣、阿部朝臣などの祖である。

式内社「若櫻神社」の論社は他に市内池之内の稚桜神社がある。ただし、両社地とも近世には十市郡に属していた。

式内社「若櫻神社」は、磐余稚櫻宮に関連したものととらえられており、当社の鎮座地は前方後円墳の後円部が残った地、ともされる。

『大和志』に「在桜井谷邑、今称白山権現」とみえ、白山権現・白山神社などとも言われたようだ。

本殿内には、大正(1912年-1926年)まで当社東の小祠に祀られていた初代神武天皇を祀る多神社が合祀されている。

この多神社はもとはワラビ塚に鎮座していた。田原本町多の多坐彌志理都比古神社は、寺川の洪水で、そのワラビ塚から流されていったという伝説があるという。

本殿の隣にある摂社が高屋安倍神社で、式内社「高屋安倍神社」に比定されている。もとは、南方400メートルの松本山東方の字狐山に鎮座していた。

なお、当社北側の高台には土舞台がある。聖徳太子が舞踊をしたと伝えられているところで、芸能の発祥の地として、著名な芸能人が、ここを訪れたという。

【ご利益】
国家安泰、商売繁盛、家内安全、入学安全
若桜神社 奈良県桜井市谷
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