式内・桑内神社とも、三輪を勧請、春日大明神などとも
大神神社 奈良県桜井市粟殿495
[住所]奈良県桜井市粟殿495
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大神神社(おおみわじんじゃ)は、奈良県桜井市粟殿にある神社。有名な三輪の同名神社の南西約2キロ。近鉄大阪線の櫻井駅の北約700メートル。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「桑内神社二座(大和国・城上郡)」に比定される式内社(小社、鍬靫)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。鎮座地の粟殿は「おうどの」と読み、式内社名の桑内が「おど」と読めることが比定根拠。ただ、根拠薄弱なのは否めず、『大和志』は式内社「桑内神社」の所在は未詳としている。

もし式内社「桑内神社」であれば、本来の御祭神は、桑内氏の祖である建麻利尼命と推測されている。火明命の六世孫。平安時代前期の貞観18年(876年)閏4月7日、從五位上に進んだ。

ただ、当社伝承では、三輪の同名神社を勧請したとする。江戸時代前期の延宝6年(1678年) の石灯籠にも「大神社」とある。

近世初期の大神神社史料所収「三輪流神道深秘鈔」に、「二ツ神・松ノ本の神・忍坂宮イクネ大明神、いずれも三輪の大明神の御子の神といへり」とある。

この二ツ神(ふたつかみ)は粟殿と、西側の上之庄にまたがる地に存在し、明治初めまで12坪ほどの土壇があったという。

そこに祀られていた小祠・稲荷社は上之庄の殖栗神社に合祀されたというが、この二ツ神が当社の旧地ではないか、との説がある。

『式内社調査報告』では、この二ツ神が実は式内社「桑内神社」で、後に三輪明神の御子神に取って変わられた、との説を示している。

ともかく、以前は春日大明神と称していたが、明治7年(1874年)、天児屋根命を主神として春日神社と改称した。

明治36年(1903年)あるいは明治37年(1904年)、現社号に改称した。現在、拝殿の額には、春日大明神・三輪大明神・蔵王権現とある。

御祭神は、大物主命・天児屋根命・金山彦命。例祭は5月7日。境内社に、愛宕神社・金比羅神社・春日神社がある。

割拝殿の向こうには一間社流造、銅板葺の本殿がある。本殿脇には、木彫の神殿狛犬がある。また、境内には江戸時代後期の嘉永元年(1848年)建立の狛犬がある。

【ご利益】
厄災除け、地域安全、事業成功、産業振興
大神神社 奈良県桜井市粟殿
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