もとは加賀潜戸、佐太大神の母を祀る潜石太神宮、式年遷宮
[住所]島根県松江市島根町加賀1490
[電話]0852-27-3784
加賀神社(かかじんじゃ)は、島根県松江市島根町加賀にある神社。市北部、島根半島北部の37号線に面して鎮座する。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「加賀神社(出雲国・島根郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。『出雲国風土記』には「加賀社」とある。もとは現在地の直線で北東数キロ、移動距離で4キロほどの加賀の潜戸(かかのくけど)に鎮座した。
加賀の潜戸は、日本海に面する潜戸鼻にある海岸景勝地で、単に潜戸とも、加賀潜戸とも。佐太神社の御祭神である佐太大神の出生地とされる。
当社の御祭神は、その佐太大神の母である支佐加比売命(ささかひめのみこと)。潜戸自体、佐太大神誕生の時、母神が金の弓矢を射通してできたとされる。
支佐加比売命は、『古事記』に記載される𧏛貝比売のことともされる。蛤貝比売とともに、瀕死の大己貴命を治療した女神である。
その後現在地に遷座したが、一貫して潜戸大明神と呼ばれてきた。江戸時代前期の万治2年(1659年)、天和2年(1682年)にそれぞれ社殿を造営した。
『出雲風土記鈔』には「窟戸大明神」とあり、『雲陽誌』では「潜戸大明神」と記載され、御祭神は伊弉諾尊・伊弉冊尊としている。
江戸時代後期の弘化4年(1847年)、大火により焼失。その後再興された。明治5年(1872年)、郷社に列し、明治40年(1907年)4月28日、神饌幣帛料供進社に指定された。
主祭神は、支佐加比売命(枳佐加比売命)。伊弉諾尊・伊弉冊尊・天照大神・猿田彦命を配祀する。猿田彦命は、佐太大神と同一視される場合がある。
例祭は10月21日で社人祭。10月29日には乙九日(おとくんち)祭が行われる。20年ごとに式年遷宮が行われ、曳船行事が斎行される。
これは、潜戸より陸地に遷座した様子をとどめるもの。普段は神殿の下に格納されている舟を、色あざやかに化粧する。
四方に竹を立て、しめなわを張り、神が見えないように幕を張りめぐらす。氏子の若者は、白粉頬紅で化粧し、派手な長橋祥に赤たすき、自のパッチにわらじばき姿。
それが総出で、太鼓の音、三味線の音色に合せて伊勢音頭を唄いながら練り歩く。チョーサァチョーサァの掛け声は明るく華やか。
現在の拝殿の額には「潜石太神宮・潜門祠」とある。拝殿内には、港町として栄えた名残の、大きな絵馬が多数掲げられている。
境内には随神門があり、それをくぐると、寛政6年(1794年)9月建立の狛犬がある。また、昭和55年(1980年)10月建立、石工須田益在による出雲構え獅子がある。
境内社に、本殿左側に熊野神社、恵比須神社、西殿、右側に東殿、日御碕神社があり、それぞれに出雲構え獅子一対が安置されている。
東参道入口、境内右奥にもそれぞれ出雲構え獅子がある。
【ご利益】
大漁満足、海上安全、病気平癒、開運招福
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加賀神社(かかじんじゃ)は、島根県松江市島根町加賀にある神社。市北部、島根半島北部の37号線に面して鎮座する。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「加賀神社(出雲国・島根郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。『出雲国風土記』には「加賀社」とある。もとは現在地の直線で北東数キロ、移動距離で4キロほどの加賀の潜戸(かかのくけど)に鎮座した。
加賀の潜戸は、日本海に面する潜戸鼻にある海岸景勝地で、単に潜戸とも、加賀潜戸とも。佐太神社の御祭神である佐太大神の出生地とされる。
当社の御祭神は、その佐太大神の母である支佐加比売命(ささかひめのみこと)。潜戸自体、佐太大神誕生の時、母神が金の弓矢を射通してできたとされる。
支佐加比売命は、『古事記』に記載される𧏛貝比売のことともされる。蛤貝比売とともに、瀕死の大己貴命を治療した女神である。
その後現在地に遷座したが、一貫して潜戸大明神と呼ばれてきた。江戸時代前期の万治2年(1659年)、天和2年(1682年)にそれぞれ社殿を造営した。
『出雲風土記鈔』には「窟戸大明神」とあり、『雲陽誌』では「潜戸大明神」と記載され、御祭神は伊弉諾尊・伊弉冊尊としている。
江戸時代後期の弘化4年(1847年)、大火により焼失。その後再興された。明治5年(1872年)、郷社に列し、明治40年(1907年)4月28日、神饌幣帛料供進社に指定された。
主祭神は、支佐加比売命(枳佐加比売命)。伊弉諾尊・伊弉冊尊・天照大神・猿田彦命を配祀する。猿田彦命は、佐太大神と同一視される場合がある。
例祭は10月21日で社人祭。10月29日には乙九日(おとくんち)祭が行われる。20年ごとに式年遷宮が行われ、曳船行事が斎行される。
これは、潜戸より陸地に遷座した様子をとどめるもの。普段は神殿の下に格納されている舟を、色あざやかに化粧する。
四方に竹を立て、しめなわを張り、神が見えないように幕を張りめぐらす。氏子の若者は、白粉頬紅で化粧し、派手な長橋祥に赤たすき、自のパッチにわらじばき姿。
それが総出で、太鼓の音、三味線の音色に合せて伊勢音頭を唄いながら練り歩く。チョーサァチョーサァの掛け声は明るく華やか。
現在の拝殿の額には「潜石太神宮・潜門祠」とある。拝殿内には、港町として栄えた名残の、大きな絵馬が多数掲げられている。
境内には随神門があり、それをくぐると、寛政6年(1794年)9月建立の狛犬がある。また、昭和55年(1980年)10月建立、石工須田益在による出雲構え獅子がある。
境内社に、本殿左側に熊野神社、恵比須神社、西殿、右側に東殿、日御碕神社があり、それぞれに出雲構え獅子一対が安置されている。
東参道入口、境内右奥にもそれぞれ出雲構え獅子がある。
【ご利益】
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