三笠山の麓、風土記の得鹽社、三笠山城主の崇敬、長らく大森さん
[住所]島根県雲南市大東町南村424
[電話]0854-43-3854
海潮神社(うしおじんじゃ)は、島根県雲南市大東町南村にある神社。木次線の出雲大東駅の東約7.5キロ。標高236メートルの三笠山の麓。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「海潮神社(出雲国・大原郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。長く、大森さんと親しまれた。
創祀年代は不詳。『出雲国風土記』には、「得鹽社(得塩社)」と記載されている。得鹽は郷名で、風土記によれば、奈良時代前期の神亀3年(726年)、海潮に改字された。
御祭神は宇能活比古命(うのちひこのみこと)。風土記大原郷の条には、宇能治比古命とあり、御祖須美禰命を恨んで、北方の出雲の海を押し上げ、当地まで流したという。
そのため、得鹽と呼ばれるようになり、後に海潮となった。また、楯縫郷の条には宇乃治比古命と記載されている。当地が地元ではなく、北方の海神・海霊とされている。
安土桃山時代の天正9年(1581年)以降の社殿造営の棟札があり、歴代武将 武門の崇敬篤く、中でも三笠城主三笠弾正は当社を祈願社として、社領・社地を寄進した。
中世以降は、字名である大森にちなむ、大森明神とも称された。『出雲国式社考』『雲陽誌』などにも記載されている。
明治5年(1872年)、現社号に復し、郷社に列した。明治41年(1908年)1月、神饌幣帛料供進社に指定された。
現在までに、相殿には誉田別命(八幡宮)が祀られている。例祭は10月20日で例大祭。祈年祭が3月22日、新嘗祭が11月27日。
境内社に、稲荷社・八幡宮・鶯社・恵比須社・高平社・荒神社・総荒神社などがあり、社日も祀られている。
境内には、三笠山城址への登り口がある。築城年代は定かではないが、尼子十砦の一つで、西村治右衛門(牛尾大蔵左衛門)の居城と伝えられる。
飯梨川を挟んだ東側には尼子氏の居城である月山富田城があり、山中鹿之介が三日月に向かって「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と祈った。
この三日月はこの三笠山にかかる月だったともされている。
【ご利益】
厄災除け、地域安全、武運長久・勝運

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海潮神社(うしおじんじゃ)は、島根県雲南市大東町南村にある神社。木次線の出雲大東駅の東約7.5キロ。標高236メートルの三笠山の麓。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「海潮神社(出雲国・大原郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。長く、大森さんと親しまれた。
創祀年代は不詳。『出雲国風土記』には、「得鹽社(得塩社)」と記載されている。得鹽は郷名で、風土記によれば、奈良時代前期の神亀3年(726年)、海潮に改字された。
御祭神は宇能活比古命(うのちひこのみこと)。風土記大原郷の条には、宇能治比古命とあり、御祖須美禰命を恨んで、北方の出雲の海を押し上げ、当地まで流したという。
そのため、得鹽と呼ばれるようになり、後に海潮となった。また、楯縫郷の条には宇乃治比古命と記載されている。当地が地元ではなく、北方の海神・海霊とされている。
安土桃山時代の天正9年(1581年)以降の社殿造営の棟札があり、歴代武将 武門の崇敬篤く、中でも三笠城主三笠弾正は当社を祈願社として、社領・社地を寄進した。
中世以降は、字名である大森にちなむ、大森明神とも称された。『出雲国式社考』『雲陽誌』などにも記載されている。
明治5年(1872年)、現社号に復し、郷社に列した。明治41年(1908年)1月、神饌幣帛料供進社に指定された。
現在までに、相殿には誉田別命(八幡宮)が祀られている。例祭は10月20日で例大祭。祈年祭が3月22日、新嘗祭が11月27日。
境内社に、稲荷社・八幡宮・鶯社・恵比須社・高平社・荒神社・総荒神社などがあり、社日も祀られている。
境内には、三笠山城址への登り口がある。築城年代は定かではないが、尼子十砦の一つで、西村治右衛門(牛尾大蔵左衛門)の居城と伝えられる。
飯梨川を挟んだ東側には尼子氏の居城である月山富田城があり、山中鹿之介が三日月に向かって「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と祈った。
この三日月はこの三笠山にかかる月だったともされている。
【ご利益】
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