『古事記』引田部赤猪子ゆかり、伝統行事「白河のケイチン」
[住所]奈良県桜井市白河285
[電話]-

秉田神社(ひきたじんじゃ)は、奈良県桜井市白河にある神社。近鉄大阪線の長谷寺駅の北約2キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「曳田神社二座(大和国・城上郡)」に比定される式内社(小社、鍬靫)。近代社格では村社。

白河(しらが)の西方、巻向山の南東麓に位置する。創祀年代は不詳だが、三輪氏の祖で三輪君氏の同族である引田君氏に関わる社と考えられている。

引田部は大和国城上郡辟田の部民で、大神朝臣の末裔とされる。『古事記』第21代雄略天皇の段に、引田部赤猪子(ひけたべのあかいこ)が登場する。

雄略天皇が三輪の川に遊びに行った時、川で洗濯をしている美しい少女に出会った。それが赤猪子(あかいこ)だった。

赤猪子を見初めた雄略天皇は、「今に呼び寄せるから、結婚しないで待っているように」と告げて宮に帰った。その言葉を信じて待ち続けた赤猪子。

しかし、80年が経過しても雄略天皇は現れなかった。すっかり老いてしまった赤猪子は、その気持ちを伝えるべく天皇のもとを訪ねた。

その時、赤猪子が詠じた歌が『古事記』にも2首(1首目2首目)掲載されている。結局、雄略天皇は多くの品物を老いた赤猪子に贈り、帰した。

非常に興味深い説話であるが、『古事記』でもスルーされることの多い部分。解釈のしようがないからか。雄略天皇の不義だけは十分伝わってくる。

以前は白山神社とも呼ばれていたようだ。御祭神は大己貴命大物主神と同一視される神で、三輪君氏の同族から比定されたと考えられている。ただし、神名帳には二座とある。

明治になり、村社に列し、旧指定村社だったというから、神饌幣帛料供進社に指定されたようだ。明治42年(1909年)、葛神社(高龗神)と稲荷社(豊受比売命)を合祀した。

例祭は10月28日。8月上旬に鬼鎮(ケイチン)と呼ばれる行事がある。村単位ではなく、旧家の特定6軒の営み。毎年の当番は2軒。

当番の2軒が梅の木の枝で作った弓・矢で、「鬼」と書かれた紙を射る。当番の2軒だけが行い、旧家の特定6軒が揃って行う行事ではない。

『大和さくらい100選』の伝統行事の一つとして、「白河のケイチン」が選ばれた。ケイチンと呼ぶ鬼打ち行事は、白河の他に小夫、鹿路、吉隠、三谷にも残る。

拝殿右側に江戸時代前期の慶安4年(1651年)銘の、本殿前に貞享元年(1684年)銘の、拝殿前に幕末の嘉永8年(1855年)と、春日大明神と白山大権現が刻まれた燈籠がある。

【ご利益】
厄災除け、地域安全、五穀豊穣
秉田神社 奈良県桜井市白河
【関連記事】
奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧