美久我林、近世は若一王子権現御社、10月例大祭の神幸に神事大華
[住所]島根県出雲市湖陵町大池1302-1
[電話]0853-43-2025
彌久賀神社(みくがじんじゃ)は、島根県出雲市湖陵町大池にある神社。山陰本線の江南駅の西約3キロ、国道9号線の山陰道沿い。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「弥久賀神社(出雲国・神門郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。創祀年代は不詳。
『出雲国風土記』に「美久我社」とあり、神門水海の条に、園松山は国引の綱に当たり、この松山の南端は「美久我林」、とある。美は敬称で、久賀は陸、土地。良き土地の意。
平安時代前期の嘉祥4年(851年)、正六位に進んだ。もともとは彌久賀神(みくがのかみ)という地元神を祀ったものとも。現在までに御祭神は天之御中主大神。
『雲陽誌』では異説として、国狭槌尊を記載している。江戸時代中期には宇迦能御魂神を配祀していたようだ。
近世は特に若一王子権現御社と呼ばれた。享保2年(1717年)の『雲陽誌』や天保4年(1833年)の『出雲神社巡拝記』にも記載されている。
江戸時代前期の元禄4年(1691年)、元禄12年(1699年)、江戸時代中期の正徳5年(1715年)、明和4年(1767年)にそれぞれ社殿造営の記録が残る。
その棟札には、彌久賀大明神とも記されている。明治4年(1871年)、郷社に列した。終戦直前に県社昇格の内定を受けたが、実現はしなかった。
例祭は10月17日ともされるが、現在は10月第4日曜日で例大祭。特殊神事として、神幸神事(みゆきしんじ)を行う。
これは、年に一度、氏子の生活状態を見ていただく神事。江戸時代前期の延宝3年(1675年)の古文書に記されており、それ以前からある行事である。
祭典中、小宮へ御分霊を神輿に遷し、当社本願である北屋を御旅所として神幸祭を斎行する。神事当番として各自治会を班別に分け、当番自治会の祷家を定め、祷家祭を行なう。
江戸時代から、神事大華が行列の華になった。非常に大きな神事華と人形踊り子を抱え上げながら練り歩く。
この神事大華は昭和19年(1944年)まで、毎年5-7本奉納されていたが、若者減少で現在は地域の保存華として1-2本奉納される。
例祭当日夕方に倒され、多くの人が持ち帰り、床の間にかざり、家運繁昌が祈願される。
境内摂社に苗鹿神社(みょうがじんじゃ。天太玉神)がある。もとは大池村字苗鹿の氏神。明治41年(1908年)、当社境内に移された。
境内末社に、疫病神社(少名毘古那神・八十禍津日神・大禍津日神)、恵比須神社(大己貴神・事代主神・船玉神・豊玉彦神・豊玉比女神)、稲荷神社がある。
境内入口には、来待石での作品としては全国で1番古い唐獅子が保存されている。 安政4年(1857年)の松平藩公お抱えの石工による作品。
井戸明府碑がある。平成18年(2006年)の建立。享保17年(1732年)の大飢饉に際して、薩摩藩に交渉して薩摩芋を当地に導入、餓死者をなくした時の代官を顕彰する。
【ご利益】
厄災除け、地域安全、無病息災(公式HP)
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彌久賀神社(みくがじんじゃ)は、島根県出雲市湖陵町大池にある神社。山陰本線の江南駅の西約3キロ、国道9号線の山陰道沿い。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「弥久賀神社(出雲国・神門郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。創祀年代は不詳。
『出雲国風土記』に「美久我社」とあり、神門水海の条に、園松山は国引の綱に当たり、この松山の南端は「美久我林」、とある。美は敬称で、久賀は陸、土地。良き土地の意。
平安時代前期の嘉祥4年(851年)、正六位に進んだ。もともとは彌久賀神(みくがのかみ)という地元神を祀ったものとも。現在までに御祭神は天之御中主大神。
『雲陽誌』では異説として、国狭槌尊を記載している。江戸時代中期には宇迦能御魂神を配祀していたようだ。
近世は特に若一王子権現御社と呼ばれた。享保2年(1717年)の『雲陽誌』や天保4年(1833年)の『出雲神社巡拝記』にも記載されている。
江戸時代前期の元禄4年(1691年)、元禄12年(1699年)、江戸時代中期の正徳5年(1715年)、明和4年(1767年)にそれぞれ社殿造営の記録が残る。
その棟札には、彌久賀大明神とも記されている。明治4年(1871年)、郷社に列した。終戦直前に県社昇格の内定を受けたが、実現はしなかった。
例祭は10月17日ともされるが、現在は10月第4日曜日で例大祭。特殊神事として、神幸神事(みゆきしんじ)を行う。
これは、年に一度、氏子の生活状態を見ていただく神事。江戸時代前期の延宝3年(1675年)の古文書に記されており、それ以前からある行事である。
祭典中、小宮へ御分霊を神輿に遷し、当社本願である北屋を御旅所として神幸祭を斎行する。神事当番として各自治会を班別に分け、当番自治会の祷家を定め、祷家祭を行なう。
江戸時代から、神事大華が行列の華になった。非常に大きな神事華と人形踊り子を抱え上げながら練り歩く。
この神事大華は昭和19年(1944年)まで、毎年5-7本奉納されていたが、若者減少で現在は地域の保存華として1-2本奉納される。
例祭当日夕方に倒され、多くの人が持ち帰り、床の間にかざり、家運繁昌が祈願される。
境内摂社に苗鹿神社(みょうがじんじゃ。天太玉神)がある。もとは大池村字苗鹿の氏神。明治41年(1908年)、当社境内に移された。
境内末社に、疫病神社(少名毘古那神・八十禍津日神・大禍津日神)、恵比須神社(大己貴神・事代主神・船玉神・豊玉彦神・豊玉比女神)、稲荷神社がある。
境内入口には、来待石での作品としては全国で1番古い唐獅子が保存されている。 安政4年(1857年)の松平藩公お抱えの石工による作品。
井戸明府碑がある。平成18年(2006年)の建立。享保17年(1732年)の大飢饉に際して、薩摩藩に交渉して薩摩芋を当地に導入、餓死者をなくした時の代官を顕彰する。
【ご利益】
厄災除け、地域安全、無病息災(公式HP)
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