天御梶日女命が多伎都彦命を産んだ聖地、11月ささら舞神事
[住所]島根県出雲市多久町274
[電話]0853-62-2890

多久神社(たくじんじゃ)は、島根県出雲市多久町にある神社。畑電車北松江線の布崎駅の北約3キロ。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「多久神社(出雲国・楯縫郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。『出雲国風土記』に「多久社」とある。さらにその楯縫郡神名樋山の条には、当社の由緒が伝わっている。

それによれば、神名樋山、現在の大船山の嶺の西に「石神あり、高さ一丈、周り一丈ばかり、側に小石神百余ばかり」という。

古老の伝えによれば、「阿遅須択高日子ノ命の后、天御梶日女命が多久村に来て、多伎都彦命を産み給うた聖地である」という。

つまり、「所謂石神(烏帽子岩)は多伎都彦之命の御魂であり、旱にあいて雨を乞う時は必らず零らせたまえり」だったという。

多久ノ社、楯縫郡多久村大布彌大明神ともただし、いずれかの時期に、大船大明神と呼ばれるようになり、それが定着した。

それによれば、第20代安康天皇の御代、当時は大船山麓まで海だったが、そこに近江国より、松本一族などが大船大明神を供奉し、多久の郷へ大波小波を乗り超えやってきた。

この苦難の船旅を偲ぶため、鼓と簓などを用いて音を擬し、簓舞神事(ささら舞神事)が行われるようになった。現在は県の無形文化財に指定されている。

御祭神は、多伎都彦命・天御梶姫命の母子。戦国時代の大永7年(1527年)、社殿造営の記録が残る。

江戸時代中期の宝暦14年(1763年)の楯縫郡多久村旧記差出帳と、天明6年(1786年)の古記録に、「松本氏来子新兵衛写之」など、当社の記録がある。

明治4年(1871年)7月、郷社に列し、明治39年(1906年)12月30日には字持田鎮座の拝田神社(猿田彦命鈿女命)を合祀した。

明治44年(1911年)9月20日、神撰幣帛料供進社に指定された。例祭は11月3日で例大祭。他に恒例祭が年6回行われる。

ささら舞神事はこの例大祭前夜と当日の2回行われ、石広、小北、湯屋谷尻、宮脇、新屋敷、大西、羽根屋、廻ノ奥の8軒の家で奉仕されている。

境内社として、客神社(伊弉諾命伊弉冊命)、若宮神社(宇賀魂神など3柱)がある。なお、式内社「多久神社」の論社は他に、市内多久谷町の田中神社がある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、子宝・安産、厄災除け、五穀豊穣
多久神社 島根県出雲市多久町
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