風土記所載の式内社、縁切りと縁結び、「海」だが剣の神
[住所]島根県出雲市平田町688-1
[電話]0853-62-3028
宇美神社(うみじんじゃ)は、島根県出雲市平田町にある神社。平田城址の南、畑電車北松江線の雲州平田駅の北約900メートル。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「宇美神社(出雲国・楯縫郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
創祀年代は不詳。御祭神は布都御魂神。『日本書紀』の経津主神の別名だとされ、この神が出雲国に下った時、海上から楯縫の地に上陸したことにちなんで創祀されたという。
宇美は「海」であり、「産み」でもあるのだろう。『出雲国風土記』には「宇美社」とある。ただし、沼田郷の地名伝承によれば、当社神は宇能遅比古命ではないかとの説も。
古くは沼田郷廻(さこ)の奥の丘陵上に鎮座したという。一方で、現在の塩津町、旧塩津村の石上神社が旧地とする説もある。この石上神社が式内社「宇美神社」の論社。
室町時代の応永元年(1394年)、現在地に熊野権現が当地に勧請された。以来、後述の合併後も、当社は熊野権現と呼ばれるようになった。
安土桃山時代の天正16年(1588年)、熊野権現の地に、廻大明神など3社と平田天満宮・伊勢宮の全7社を集併した。
江戸時代前期の元禄6年(1693年)には「廻大明神」と呼ばれていた。江戸時代中期の宝暦9年(1759年)、「廻大明神、右式内宇美神社」と記載されている。
熊野権現社・熊野神社・平田権現・平田神社、俗に真薦の宮とも称したが、明治5年(1872年)、現社号に改称して郷社に列した。
大正9年(1920年)、県社に昇格した。昭和56年(1981年)、島根県神社庁より特別神社の指定を受けた。
主祭神は布都御魂神だが、配祀神は伊弉册尊・速玉男命・事解男命の熊野神、天児屋根命、太玉命、手力男命、大歳神。例祭は10月12日。
境内社に、天満宮(菅原道真・少彦名命)、幸神社(猿田彦神)、稲荷神社(保食命)、金屋子神社(金山彦命・金山姫命)がある。
社外社(境外社)に、船霊神社(市木嶋姫命)、縁結神社(伊弉諾命・伊弉冉命)、祖神社(久久能智命)、城前神社(素戔嗚尊)、伊勢宮(天照大神)がある。
本殿は春日造で檜皮葺。幣殿・拝殿・社務所・神具舎・随神門などがある。縁切りと縁結びの御利益で知られている。
縁切りは、配祀神の事解男命(ことさかのをのみこと)に基づく。縁結びは主に縁結神社による。江戸時代中期には存在していたのではないかとされる由緒深い境外社である。
本社(配祀神=縁切り)を先に参拝し、その後に縁結神社(=縁結び)を参拝すると、縁切りの効果が失われるという。
縁切りについては、一般社団法人木綿街道振興会がその詳しい作法を公開している。
平田の総氏神として崇敬されている。当社の拝殿内には、氏子が京都からやってきた絵師に杉板に描かせた「三十六歌仙」の板絵がある。
平田天満宮と呼ばれた境内天満宮には、江戸時代に流行り病平癒を祈願する、毎年夏ごろの子供たちがお神輿を引き回すなど、御神幸に由来する祈願の一式飾りが今に伝わる。
陶磁器で神話の人物などを組み立てるものだが、平田で製作された「牛若丸と弁慶」の一式飾りは大阪の国立民族学博物館に常設展示されている。
平田には、斐川町のショウガを使用した伝統の銘菓「生姜糖」がある。当社を左手に進むと、菓子店「風月堂」があり、季節の生菓子・洋菓子などが並ぶ。
【ご利益】
縁切り、縁結び、交渉成功、武運長久・勝運、病気平癒
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宇美神社(うみじんじゃ)は、島根県出雲市平田町にある神社。平田城址の南、畑電車北松江線の雲州平田駅の北約900メートル。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「宇美神社(出雲国・楯縫郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
創祀年代は不詳。御祭神は布都御魂神。『日本書紀』の経津主神の別名だとされ、この神が出雲国に下った時、海上から楯縫の地に上陸したことにちなんで創祀されたという。
宇美は「海」であり、「産み」でもあるのだろう。『出雲国風土記』には「宇美社」とある。ただし、沼田郷の地名伝承によれば、当社神は宇能遅比古命ではないかとの説も。
古くは沼田郷廻(さこ)の奥の丘陵上に鎮座したという。一方で、現在の塩津町、旧塩津村の石上神社が旧地とする説もある。この石上神社が式内社「宇美神社」の論社。
室町時代の応永元年(1394年)、現在地に熊野権現が当地に勧請された。以来、後述の合併後も、当社は熊野権現と呼ばれるようになった。
安土桃山時代の天正16年(1588年)、熊野権現の地に、廻大明神など3社と平田天満宮・伊勢宮の全7社を集併した。
江戸時代前期の元禄6年(1693年)には「廻大明神」と呼ばれていた。江戸時代中期の宝暦9年(1759年)、「廻大明神、右式内宇美神社」と記載されている。
熊野権現社・熊野神社・平田権現・平田神社、俗に真薦の宮とも称したが、明治5年(1872年)、現社号に改称して郷社に列した。
大正9年(1920年)、県社に昇格した。昭和56年(1981年)、島根県神社庁より特別神社の指定を受けた。
主祭神は布都御魂神だが、配祀神は伊弉册尊・速玉男命・事解男命の熊野神、天児屋根命、太玉命、手力男命、大歳神。例祭は10月12日。
境内社に、天満宮(菅原道真・少彦名命)、幸神社(猿田彦神)、稲荷神社(保食命)、金屋子神社(金山彦命・金山姫命)がある。
社外社(境外社)に、船霊神社(市木嶋姫命)、縁結神社(伊弉諾命・伊弉冉命)、祖神社(久久能智命)、城前神社(素戔嗚尊)、伊勢宮(天照大神)がある。
本殿は春日造で檜皮葺。幣殿・拝殿・社務所・神具舎・随神門などがある。縁切りと縁結びの御利益で知られている。
縁切りは、配祀神の事解男命(ことさかのをのみこと)に基づく。縁結びは主に縁結神社による。江戸時代中期には存在していたのではないかとされる由緒深い境外社である。
本社(配祀神=縁切り)を先に参拝し、その後に縁結神社(=縁結び)を参拝すると、縁切りの効果が失われるという。
縁切りについては、一般社団法人木綿街道振興会がその詳しい作法を公開している。
平田の総氏神として崇敬されている。当社の拝殿内には、氏子が京都からやってきた絵師に杉板に描かせた「三十六歌仙」の板絵がある。
平田天満宮と呼ばれた境内天満宮には、江戸時代に流行り病平癒を祈願する、毎年夏ごろの子供たちがお神輿を引き回すなど、御神幸に由来する祈願の一式飾りが今に伝わる。
陶磁器で神話の人物などを組み立てるものだが、平田で製作された「牛若丸と弁慶」の一式飾りは大阪の国立民族学博物館に常設展示されている。
平田には、斐川町のショウガを使用した伝統の銘菓「生姜糖」がある。当社を左手に進むと、菓子店「風月堂」があり、季節の生菓子・洋菓子などが並ぶ。
【ご利益】
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