日本指折りの参拝難所、素盞嗚命が岩船に乗り製鉄文化を伝えた地
[住所]島根県出雲市唐川町408
[電話]0853-66-0006
韓竈神社(からかまじんじゃ)は、島根県出雲市唐川町にある神社。御朱印は平日は鰐淵コミュニティーセンター、休日はもみじや商店で頂ける。
『延喜式神名帳』にある「韓竈神社(出雲国・出雲郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。地理的には出雲大社の北東、実際には十六島湾の方から進む。
紅葉で有名な鰐淵寺から、山を隔て西側に位置する。その手前には当社の遥拝社がある。鳥居の800メートルくらい手前から道が狭くなる。
杉木立の中を通っていくが、舗装されておらず、携帯電話の電波も届かない。市が参拝注意の喚起を行っているほど。急な石段を登ること約15分。
本殿手前にある、難関の岩の割れ目を通らなければならない。幅45センチほどで、体格が良いと通り抜けできない。メタボの人参拝NGと呼ばれる所以。
ただし、この割れ目は女性の産道に見立てられ、通ることができれば、子宝に恵まれるとも伝えられている。
完全に山道なので、ハイヒールはもってのほか。ズボン、スニーカーの軽装がベスト、とされるが、完全にマストだと思われる。日本でも指折りの参拝難所。
創祀年代は不詳。『出雲国風土記』には「韓銍社(からかまのやしろ)」とある。御祭神は素盞嗚尊。
素盞嗚命が新羅に渡り、わが国に「植林法」やタタラ製法、鍛冶技術などの鉄器文化を伝えたと伝わる。
「からかま」の「かま」は溶鉱炉を意味するとも。当社より奥は古くからの産銅地帯といわれ、金掘り地区の地名や自然銅、野タタラ跡もある。
境内には大岩がある。「岩船」と呼ばれており、素盞嗚命が新羅から文化を伝えた際に乗船したともいう。
また、第33代推古天皇2年(594年)、鰐淵寺を開いた智春上人が信濃国から来た時、三人の老翁が船で出迎え、鰐淵寺へと案内したとも伝わる。
その後、老翁は別所・唐川・旅伏の三所に飛び去り、唐川の智那尾権現は岩船に、別所の白瀧権現は帆柱石に、旅伏山の旅伏権現は帆形の石になったと伝えられている。
現在、旅伏山にも大岩が現存している。しかし、別所の帆柱岩だけは、昭和になって地滑りのためなくなってしまったという。
以上のような由緒から、当社は長らく智那尾権現(ちおごんげん)と呼ばれていた。明治5年(1872年)、村社に列した。同じく式内社である斐代神社は当社の境外末社。
駐車場は後野バス停付近にある。軽自動車含め3ヶ所で10台程度駐車できる。後野バス停付近に下記の仮設トイレが設置されている。
【ご利益】
子宝、リフレッシュ、身体壮健

【関連記事】
・島根県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、島根県に鎮座している神社の一覧
[電話]0853-66-0006
韓竈神社(からかまじんじゃ)は、島根県出雲市唐川町にある神社。御朱印は平日は鰐淵コミュニティーセンター、休日はもみじや商店で頂ける。
『延喜式神名帳』にある「韓竈神社(出雲国・出雲郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。地理的には出雲大社の北東、実際には十六島湾の方から進む。
紅葉で有名な鰐淵寺から、山を隔て西側に位置する。その手前には当社の遥拝社がある。鳥居の800メートルくらい手前から道が狭くなる。
杉木立の中を通っていくが、舗装されておらず、携帯電話の電波も届かない。市が参拝注意の喚起を行っているほど。急な石段を登ること約15分。
本殿手前にある、難関の岩の割れ目を通らなければならない。幅45センチほどで、体格が良いと通り抜けできない。メタボの人参拝NGと呼ばれる所以。
ただし、この割れ目は女性の産道に見立てられ、通ることができれば、子宝に恵まれるとも伝えられている。
完全に山道なので、ハイヒールはもってのほか。ズボン、スニーカーの軽装がベスト、とされるが、完全にマストだと思われる。日本でも指折りの参拝難所。
創祀年代は不詳。『出雲国風土記』には「韓銍社(からかまのやしろ)」とある。御祭神は素盞嗚尊。
素盞嗚命が新羅に渡り、わが国に「植林法」やタタラ製法、鍛冶技術などの鉄器文化を伝えたと伝わる。
「からかま」の「かま」は溶鉱炉を意味するとも。当社より奥は古くからの産銅地帯といわれ、金掘り地区の地名や自然銅、野タタラ跡もある。
境内には大岩がある。「岩船」と呼ばれており、素盞嗚命が新羅から文化を伝えた際に乗船したともいう。
また、第33代推古天皇2年(594年)、鰐淵寺を開いた智春上人が信濃国から来た時、三人の老翁が船で出迎え、鰐淵寺へと案内したとも伝わる。
その後、老翁は別所・唐川・旅伏の三所に飛び去り、唐川の智那尾権現は岩船に、別所の白瀧権現は帆柱石に、旅伏山の旅伏権現は帆形の石になったと伝えられている。
現在、旅伏山にも大岩が現存している。しかし、別所の帆柱岩だけは、昭和になって地滑りのためなくなってしまったという。
以上のような由緒から、当社は長らく智那尾権現(ちおごんげん)と呼ばれていた。明治5年(1872年)、村社に列した。同じく式内社である斐代神社は当社の境外末社。
駐車場は後野バス停付近にある。軽自動車含め3ヶ所で10台程度駐車できる。後野バス停付近に下記の仮設トイレが設置されている。
【ご利益】
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