風土記にある通りの社殿構成、11月浦安の舞、とんどと灘祭
[住所]島根県松江市鹿島町恵曇370
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恵曇神社(えともじんじゃ)は、島根県松江市鹿島町恵曇にある神社。佐陀川の河口、恵曇港にほど近く、日本海寄り。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「惠曇神社(出雲国・秋鹿郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。鎮座地名から江角大明神とも称されていた。式内社「惠曇神社」は、『出雲国風土記』に「恵杼毛社」とある。

ただし、『出雲国風土記』には別に「恵曇海邊社」があり、当社は立地から考えても「恵曇海邊社」ではないか、との説がある。

式内社「惠曇神社」の論社は他に、畑垣大明神と呼ばれ、当社の東、佐陀本郷に当社と同名の神社がある。

・(当社)江角大明神……風土記「恵曇海邊社」「同海邊社」
・(本郷)畑垣大明神……風土記「恵杼毛社」……式内社「惠曇神社」

以上の図式が成り立ち、長い間そう信じれれていた節があるが、近世になり、論争となって、当社が式内比定された。

論争中と思われる、江戸時代前期の元禄4年(1691年)、当社殿が造営された。明治になり、式内社として、当社は明治5年(1872年)、郷社に列した。

御祭神は、磐坂日子命。素盞嗚尊の御子神であり、当地を治めたと伝えられている。境内末社は7社あるとされる。

現在も二棟並んだ社殿構成になっている。まさに『出雲国風土記』にある「恵曇海邊社」「同海邊社」。双方、恵曇神社と呼ばれているようだ。

例祭は11月9日。「浦安の舞」が奉納され、小学校四・五年生の女子が四人舞い、六年生が伴奏に歌う。

海に近いため、佐陀大社の神在祭に佐陀の浦に集い給う神々は、まず当社で休息すると伝えられている。

恵曇のとんどがある。古浦とほぼ同様に、干支の張り子を歳徳神の神輿とともに担ぎ、町内巡行する。また、恵曇の灘祭(竜神祭)がある。

古浦の灘祭の明くる4月21日午後、恵曇港の外海に出て、竜神様を木船で迎え、当社拝殿左手のやはり恵曇神社の拝殿で奉斎し、夜になって海に送る。

【ご利益】
海上安全、大漁満足、無病息災、身体壮健
恵曇神社 島根県松江市鹿島町恵曇
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