天の岩戸で八百萬の神々が相談した地、中世からは八幡、さなぶり祭
[住所]奈良県橿原市曽我町659
[電話]0744-22-5907

天高市神社(あめのたけちじんじゃ)は、奈良県橿原市曽我町にある神社。曽我川右岸、近鉄大阪線の真菅駅の南約1.2キロ。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「天高市神社(大和国・高市郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。天の岩戸に天照大神が隠れた際、八百萬の神々が当地に集まり、岩戸を開き、天照大神がもとの生業に戻るよう相談した伝承の地だという。

御祭神は事代主命。ただし、なぜかもともとは素盞鳴命だったともされる。『高市郡神社誌』によれば、御祭神について諸説あると、下記のように挙げる。

神功皇后の三韓征伐において、比売神が大いに神助を発揮したので、品陀別尊、息長帯姫命 比売神の三柱を合祀した。

あるいは、素盞鳴命に代えて、事代主命を祀り、いずれも八幡宮として尊崇された。いつの頃か、御祭神一柱と誤り記された。

『日本三代実録』では、第56代清和天皇の御代、平安時代前期の貞観元年(859年)正月27日、大和国天高市神に従五位上の神階を授けるとある。

どちらにしろ、中世から江戸時代にかけて、曽我八幡宮とも称された。神功皇后の時代とは考えづらいが、いずれかの時期、八幡大神を勧請したのだろう。

江戸時代中期の安永6年(1777年)い奉納された石燈籠に八幡宮とあるものが2基ある。現在までに、事代主命、品陀別命(応神天皇)・息長帯姫(神功皇后)・比売神を祀る。

明治になり、村社に列し、明治40年(1907年)9月には神饌幣帛料供進社に指令され、いわゆる指定村社となった。本殿は銅板葺流造。

例祭は9月第3日曜日で例大祭。10月第3土曜日が秋祭の宵宮祭、翌日曜日が秋祭の本宮祭で、だんじり巡行がある。

往時は、例祭は10月18日で、座講は町座・高良座・天高市座・新天高市座があり、座祭は10月11日・12日だった。

11日に御分霊を御輿に奉じて当屋の床の間に奉安し、祭典前日の17日まで7日間給仕する伝統があった。

6月中旬には、宗我坐宗我比古神社とともに、時間を分けてさなぶり祭が斎行される。さなぶりとは「早苗饗」で、田植えを終了した祝いのことを指す。

境内社に、高良神社(高良玉垂神)、秋葉神社(軻遇突神)、八坂神社(素戔嗚命)、菅原神社(菅原道真公)、稲荷神社(宇迦之御魂神)がある。

【ご利益】
厄災除け、商売繁盛、五穀豊穣(公式HP
天高市神社 奈良県橿原市曽我町
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