井上内親王の子の若宮大明神、霊安寺御霊神社の別宮
[住所]奈良県五條市御山町74
[電話]-
火雷神社(ほのいかづちじんじゃ)は、奈良県五條市御山町にある神社。丹生川との合流点に近い吉野川南岸、和歌山線の大和二見駅の南東約3キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「火雷神社(大和国・宇智郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
奈良時代の宝亀6年(775年)4月、井上内親王とその子他戸親王は日を同じくして、郡内のどこかで幽閉のまま死を遂げた。
宝亀元年(770年)10月1日、第49代光仁天皇が即位、井上内親王は立后され(井上皇后)、翌宝亀2年(771年)には他戸親王が立太子された。
宝亀3年(772年)3月2日、光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、同年5月には他戸親王も皇太子を廃された。
宝亀4年(773年)1月2日、山部親王が立太子した。後の第50代桓武天皇である。この後2年の親子の怪死となるわけで、現在まで不信が持たれている。
当社の創立は平安時代初期の延暦19年(800年)。怨霊を恐れ続けた桓武天皇の意向が働いていると思われる。
当社の川沿いの立地から、もとは水神、あるいは当社名から考えて火の神など自然神を祀っていた、という説がある。
当社のことではないが、『続日本記』大宝2年(702年)条に「山背国乙訓郡火雷神早毎に雨を祈るに頻る微験あり」とある。
これにより、飛鳥時代より、「火雷神」といえば、水神であり、雷神であると考えられた証左であり、当社もその系統、とするもの。
ただ、当社が一貫して井上内親王の子を祀る社としてとらえられてきたのは間違いなく、何でもかんでもアミニズムと考えなくてもよさそうだ。
当社神の神階は、貞観元年(859年)4月10日には従三位に、元慶3年(879年)6月8日には正三位に進んだ。
井上内親王を祀る霊安寺町の御霊神社とは丹生川を隔てて相対する位置に鎮座し、古来その関係はもちろん深く、当社遷宮も霊安寺僧の奉仕によって行われた。
御霊神社の別宮に位置付けられている。御祭神は、井上内親王の若宮雷神。第三子とされる火雷神である。ただし正史上、井上内親王には二人の子しかいない。
長く「若宮大明神」とも呼ばれ、江戸時代中期の享保7年(1722年)、社殿が造営され、遷宮。これが現在の本殿である。銅板葺の一間社流造。
毎年10月7日、頭家において御幣をつくり、9日に御霊神社にお渡りとして親子対面の儀を行っている。
本殿横にある小社は、本殿に向かって、左が春日大社、右が八幡社、鳥居をくぐって左方に八坂社、右方に奥から御霊社、蛭子社、桜木社である。
鳥居は長く風雨にさらされ、腐敗したため、昭和34年(1959年)に新しく作り変えられた。割拝殿がある。
【ご利益】
諸願成就
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火雷神社(ほのいかづちじんじゃ)は、奈良県五條市御山町にある神社。丹生川との合流点に近い吉野川南岸、和歌山線の大和二見駅の南東約3キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「火雷神社(大和国・宇智郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
奈良時代の宝亀6年(775年)4月、井上内親王とその子他戸親王は日を同じくして、郡内のどこかで幽閉のまま死を遂げた。
宝亀元年(770年)10月1日、第49代光仁天皇が即位、井上内親王は立后され(井上皇后)、翌宝亀2年(771年)には他戸親王が立太子された。
宝亀3年(772年)3月2日、光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、同年5月には他戸親王も皇太子を廃された。
宝亀4年(773年)1月2日、山部親王が立太子した。後の第50代桓武天皇である。この後2年の親子の怪死となるわけで、現在まで不信が持たれている。
当社の創立は平安時代初期の延暦19年(800年)。怨霊を恐れ続けた桓武天皇の意向が働いていると思われる。
当社の川沿いの立地から、もとは水神、あるいは当社名から考えて火の神など自然神を祀っていた、という説がある。
当社のことではないが、『続日本記』大宝2年(702年)条に「山背国乙訓郡火雷神早毎に雨を祈るに頻る微験あり」とある。
これにより、飛鳥時代より、「火雷神」といえば、水神であり、雷神であると考えられた証左であり、当社もその系統、とするもの。
ただ、当社が一貫して井上内親王の子を祀る社としてとらえられてきたのは間違いなく、何でもかんでもアミニズムと考えなくてもよさそうだ。
当社神の神階は、貞観元年(859年)4月10日には従三位に、元慶3年(879年)6月8日には正三位に進んだ。
井上内親王を祀る霊安寺町の御霊神社とは丹生川を隔てて相対する位置に鎮座し、古来その関係はもちろん深く、当社遷宮も霊安寺僧の奉仕によって行われた。
御霊神社の別宮に位置付けられている。御祭神は、井上内親王の若宮雷神。第三子とされる火雷神である。ただし正史上、井上内親王には二人の子しかいない。
長く「若宮大明神」とも呼ばれ、江戸時代中期の享保7年(1722年)、社殿が造営され、遷宮。これが現在の本殿である。銅板葺の一間社流造。
毎年10月7日、頭家において御幣をつくり、9日に御霊神社にお渡りとして親子対面の儀を行っている。
本殿横にある小社は、本殿に向かって、左が春日大社、右が八幡社、鳥居をくぐって左方に八坂社、右方に奥から御霊社、蛭子社、桜木社である。
鳥居は長く風雨にさらされ、腐敗したため、昭和34年(1959年)に新しく作り変えられた。割拝殿がある。
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