二ツ山城の鎮守の大原大明神、「藤の棚」「庄の池」
大原神社 島根県邑智郡邑南町上田所176
[住所]島根県邑智郡邑南町上田所176
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大原神社(おおはらじんじゃ)は、島根県邑智郡邑南町上田所にある神社。浜田自動車道の大朝ICから国道261号を北上する。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「大原神社(石見国・邑智郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。二ツ山城主富永下野守の鎮守だったという。二ツ山城は鎌倉時代前期の貞応2年(1223年)、富永朝祐によって築城された。

富永氏はやがて出羽姓を名乗り一大勢力を持ったが、南北朝時代の正平16年(1357年)に高橋貞光による攻撃で城主出羽実祐は討死し、落城した。

ただし、戦国時代の永禄元年(1558年)、毛利と尼子による争いである出羽表の戦い(石州出羽の戦い)でも二ツ山城と出羽元実という武将が活躍している。

安土桃山時代の天正19年(1591年)、出羽元実が出雲国に移封となり、二ツ山城は完全に廃城になった。

その間、永禄6年(1563年)8月、大原に住む松本勘六という者が、大原大元名に当社を移転したという。大原大明神として崇敬された。

江戸時代後期の享和2年(1802年)6月、現在地である上田所字岩の元に遷座した。明治9年(1876年)、村社に列した。

明治40年(1907年)11月15日、当社地より北東約4キロほどにある下亀谷の八幡神社に合併され、その境外末社となった。

御祭神は伊弉諾神。大原宿禰神を配祀する。大原宿禰神は不詳だが、『日本三代実録』貞観14年(872年)に「右京人但馬權掾從七位下大原史弘原賜姓大原宿禰」がある。

社名から考えると大原宿禰神が主神なのかもしれないが、よく分からない。例祭は7月第2日曜日で大原祭。「藤の棚神幸場」と称する聖地と、「庄の池」へ神幸する。

なお、式内社「大原神社」の論社は他に、町内日貫の当社および式内同名神社、阿須那の賀茂神社に合祀され相殿の同名神社がある。

【ご利益】
家内安全、地域安全
大原神社 島根県邑智郡邑南町上田所
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