比礼振山のもとは姫山神社、都茂鉱山の開発、石見銀山へ分祀
[住所]島根県益田市乙子町51
[電話]-
佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)は、島根県益田市乙子町にある神社。山陰本線の増田駅の東約7キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「佐毘賣山神社(石見国・美濃郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
佐毘賣山(佐毘売山、佐比売山)とも、権現山とも呼ぶ、標高359メートルの比礼振山の頂上近くに鎮座する。創祀年代は不詳。
「佐毘賣山」は、接頭語「さ」の付いた「姫山」の意味で、もとは比礼振山の頂上に、金山姫命・埴山姫命・木花咲耶姫命の3柱の姫神を祀った姫山神社だったという。
第59代宇多天皇の御代、平安時代前期の寛平5年(893年)、美濃国の中山南宮大社より金山彦命を勧請し、合せて大山祇命をも祀って、五社大権現と称した。
鎮座地の「乙子」は、御祭神の1柱である木花咲耶姫命が大山祇命の乙姫御子であることが由来。地名に、本来は姫神が主であったことが伝わっている。
ただし、この「乙子」は、神代に大宜都姫命の末娘である挟姫が天降り、当地から開拓を始めて、東へ進んでいったという神話に基づく、とも。乙子狭姫(おとごさひめ)である。
これは『古事記』に記載されている須佐之男命と大宜都姫命の説話に因むものとも。その神話を社伝として今に伝え、社前には神話に基づいた漫画も販売されているという。
ともかく、この合祀は、石見国で最古級の鉱山で、主に銅を産したとされる都茂鉱山の開発が契機になったともされる。
第82代後鳥羽天皇は比礼振山に関して、下記を詠っている。上皇(後鳥羽院)として、承久の乱で敗北し、隠岐に配流された頃のものか。
このため、大和国吉野山から水の神として闇靇神と蔵王権現を合祀し、以降は蔵王大権現とも称されるようになった。
石見銀山の守護神とされる同名の神社が大田市大森町の石見銀山の近くにあるが、当社の分祀であるとされる。
石見銀山への分祀は康暦2年(1380年)のことともされ、大田市大森町の同名神社は、当社と似たような由緒を持つ。
室町時代の文安3年(1446年)、山頂から山の中腹に遷座、さらに江戸時代前期の万治3年(1660年)、現社地へ遷座した。
蛇王権現などとも呼ばれ、元禄6年(1693年)と、江戸時代中期の寛延3年(1750年)に社殿が造営された記録が残る。
寛政3年(1791年)、現社名に改称。明治の神仏分離により、御祭神の蔵王権現は、蔵王権現が本地仏とされていた廣國押武金日天皇に改められた。
明治5年(1872年)、村社に列した。現在までに主祭神は、金山彦命・金山姫命。埴山姫命・大山祇命・木花咲耶姫命を相殿に祀る。
闇靇神・廣國押武金日天皇を別殿に祀り、水波能売命・国常立命・多紀理毘賣命・狹依毘売命・多紀都毘売命を合祀する。例祭は10月15日で例大祭。
なお、石見国には安濃郡に式内社「佐比売山神社」がある。論社に、いずれも大田市で、三瓶町と鳥井町の式内同名神社などがある。
【ご利益】
家内円満、家業繁昌、息災延命、金山・銀山・海上安全

【関連記事】
・島根県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、島根県に鎮座している神社の一覧
[電話]-
佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)は、島根県益田市乙子町にある神社。山陰本線の増田駅の東約7キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「佐毘賣山神社(石見国・美濃郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
佐毘賣山(佐毘売山、佐比売山)とも、権現山とも呼ぶ、標高359メートルの比礼振山の頂上近くに鎮座する。創祀年代は不詳。
「佐毘賣山」は、接頭語「さ」の付いた「姫山」の意味で、もとは比礼振山の頂上に、金山姫命・埴山姫命・木花咲耶姫命の3柱の姫神を祀った姫山神社だったという。
第59代宇多天皇の御代、平安時代前期の寛平5年(893年)、美濃国の中山南宮大社より金山彦命を勧請し、合せて大山祇命をも祀って、五社大権現と称した。
鎮座地の「乙子」は、御祭神の1柱である木花咲耶姫命が大山祇命の乙姫御子であることが由来。地名に、本来は姫神が主であったことが伝わっている。
ただし、この「乙子」は、神代に大宜都姫命の末娘である挟姫が天降り、当地から開拓を始めて、東へ進んでいったという神話に基づく、とも。乙子狭姫(おとごさひめ)である。
これは『古事記』に記載されている須佐之男命と大宜都姫命の説話に因むものとも。その神話を社伝として今に伝え、社前には神話に基づいた漫画も販売されているという。
ともかく、この合祀は、石見国で最古級の鉱山で、主に銅を産したとされる都茂鉱山の開発が契機になったともされる。
第82代後鳥羽天皇は比礼振山に関して、下記を詠っている。上皇(後鳥羽院)として、承久の乱で敗北し、隠岐に配流された頃のものか。
石見潟 高角山に雲はれて ひれふる峯を 出づる月影南北朝時代の貞治4年(1365年)、一帯に旱魃が起こり、比礼振山で雨乞いをしたところ雨が降った。
このため、大和国吉野山から水の神として闇靇神と蔵王権現を合祀し、以降は蔵王大権現とも称されるようになった。
石見銀山の守護神とされる同名の神社が大田市大森町の石見銀山の近くにあるが、当社の分祀であるとされる。
石見銀山への分祀は康暦2年(1380年)のことともされ、大田市大森町の同名神社は、当社と似たような由緒を持つ。
室町時代の文安3年(1446年)、山頂から山の中腹に遷座、さらに江戸時代前期の万治3年(1660年)、現社地へ遷座した。
蛇王権現などとも呼ばれ、元禄6年(1693年)と、江戸時代中期の寛延3年(1750年)に社殿が造営された記録が残る。
寛政3年(1791年)、現社名に改称。明治の神仏分離により、御祭神の蔵王権現は、蔵王権現が本地仏とされていた廣國押武金日天皇に改められた。
明治5年(1872年)、村社に列した。現在までに主祭神は、金山彦命・金山姫命。埴山姫命・大山祇命・木花咲耶姫命を相殿に祀る。
闇靇神・廣國押武金日天皇を別殿に祀り、水波能売命・国常立命・多紀理毘賣命・狹依毘売命・多紀都毘売命を合祀する。例祭は10月15日で例大祭。
なお、石見国には安濃郡に式内社「佐比売山神社」がある。論社に、いずれも大田市で、三瓶町と鳥井町の式内同名神社などがある。
【ご利益】
家内円満、家業繁昌、息災延命、金山・銀山・海上安全

【関連記事】
・島根県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、島根県に鎮座している神社の一覧
コメント