奈良期に伊勢別宮を勧請、鎌倉期以来の矢立神事と松
[住所]島根県江津市都野津町1590-1
[電話]0855-53-0941
大年神社(おおとしじんじゃ)は、島根県江津市都野津町にある神社。山陰本線の都野津駅の北東約700メートル。住所は都野津町1554-1とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「大歳神社(石見国・那賀郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
住宅が密集している路地の奥、坂道の途中に境内入口があり、周囲には寺社が点在している場所。社前には、矢立神事が行われた矢立の松の跡がある。
第45代聖武天皇の御代、奈良時代前期の神亀2年(725年)、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の別宮より、都濃郷大年免に勧請したと伝わる。それ以上の詳細は伝わらない。
しかし、これは市内渡津町と浜田市元浜町の同名神社と同じ由緒。渡津町の同名神社では、別宮を伊雑宮とし、その末社である大歳神を奉遷したと伝わる。
伊雑宮の所管社に大歳神を祀る佐美長神社がある。式内社「大歳神社」は『日本三代実録』によれば、貞観13年(871年)4月3日に、従五位下の神階を授けられた。
しかし論社や類社が多く、特定が難しい。当社もそのうちの一社。主な論社は、市内渡津町と浜田市元浜町の他、市内和木町、浜田市の弥栄町、国分町などに当社あるいは式内と同名の神社がある。
当社は一説に、石見二宮の多鳩神社の末社ともされる。先の和木町の同名神社もそうで、当地周辺の神社は、多鳩神社と関連のあるものが多いのも特徴。
江戸時代中期の正徳元年(1711年)、郡山とも都山(都ノ山)とも呼ばれる現在地に遷座した。寛保2年(1742年)8月15日、社殿が造営された。
御祭神は大年神・稲倉魂命。例祭は11月1日・2日。1日が前夜祭、2日に例大祭の神事があり、神幸式・還御式の神輿渡御が行われる。
いわゆる担ぎ神輿である。子供御輿が出て、石見神楽も奉納される。10月31日には町民若者有志による笹の頒布がある。1月にはとんど焼きもある。
矢立の松にちなむ、矢立の神事は毎年8月15日に行われていた。『多鳩神社記』にも記載されている。松の根に的を立て置き、矢を放つ。
もとは鎌倉時代後期の弘安年間(1278年-1288年)、蒙古軍の侵入を見張るために築かれた大年免の砦を守る武将が戦勝を占うための行事だったという。
その後、農作の占いや五穀豊穣、天下泰平を祈願して、正月9日に社前から神主職によって矢が射られるようになった。
江戸時代中期には8月に行われるようになったという。もともとは旧地にあったものを、江戸中期の現在地への遷座の際に、松も移されたようだ。
現在の松は二世だという。全国的にも例が少なく、石見では当社のみに伝わる貴重な神事だとされる。
境内社に金刀比羅神社(例祭:6月9日)・大元神社・厳島神社(例祭:6月17日)・招魂社がある。
【ご利益】
五穀豊穣、厄災除け、身体壮健、地域安全(公式HP)

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大年神社(おおとしじんじゃ)は、島根県江津市都野津町にある神社。山陰本線の都野津駅の北東約700メートル。住所は都野津町1554-1とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「大歳神社(石見国・那賀郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
住宅が密集している路地の奥、坂道の途中に境内入口があり、周囲には寺社が点在している場所。社前には、矢立神事が行われた矢立の松の跡がある。
第45代聖武天皇の御代、奈良時代前期の神亀2年(725年)、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の別宮より、都濃郷大年免に勧請したと伝わる。それ以上の詳細は伝わらない。
しかし、これは市内渡津町と浜田市元浜町の同名神社と同じ由緒。渡津町の同名神社では、別宮を伊雑宮とし、その末社である大歳神を奉遷したと伝わる。
伊雑宮の所管社に大歳神を祀る佐美長神社がある。式内社「大歳神社」は『日本三代実録』によれば、貞観13年(871年)4月3日に、従五位下の神階を授けられた。
しかし論社や類社が多く、特定が難しい。当社もそのうちの一社。主な論社は、市内渡津町と浜田市元浜町の他、市内和木町、浜田市の弥栄町、国分町などに当社あるいは式内と同名の神社がある。
当社は一説に、石見二宮の多鳩神社の末社ともされる。先の和木町の同名神社もそうで、当地周辺の神社は、多鳩神社と関連のあるものが多いのも特徴。
江戸時代中期の正徳元年(1711年)、郡山とも都山(都ノ山)とも呼ばれる現在地に遷座した。寛保2年(1742年)8月15日、社殿が造営された。
御祭神は大年神・稲倉魂命。例祭は11月1日・2日。1日が前夜祭、2日に例大祭の神事があり、神幸式・還御式の神輿渡御が行われる。
いわゆる担ぎ神輿である。子供御輿が出て、石見神楽も奉納される。10月31日には町民若者有志による笹の頒布がある。1月にはとんど焼きもある。
矢立の松にちなむ、矢立の神事は毎年8月15日に行われていた。『多鳩神社記』にも記載されている。松の根に的を立て置き、矢を放つ。
もとは鎌倉時代後期の弘安年間(1278年-1288年)、蒙古軍の侵入を見張るために築かれた大年免の砦を守る武将が戦勝を占うための行事だったという。
その後、農作の占いや五穀豊穣、天下泰平を祈願して、正月9日に社前から神主職によって矢が射られるようになった。
江戸時代中期には8月に行われるようになったという。もともとは旧地にあったものを、江戸中期の現在地への遷座の際に、松も移されたようだ。
現在の松は二世だという。全国的にも例が少なく、石見では当社のみに伝わる貴重な神事だとされる。
境内社に金刀比羅神社(例祭:6月9日)・大元神社・厳島神社(例祭:6月17日)・招魂社がある。
【ご利益】
五穀豊穣、厄災除け、身体壮健、地域安全(公式HP)

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