地主神と渡来神を祀る北八幡、10月に南八幡と大田両八幡宮祭礼風流
[住所]島根県大田市大田町大田イ751-2
[電話]0854-82-7158

喜多八幡宮(きたはちまんぐう)は、島根県大田市大田町大田にある神社。近代社格では郷社。大田駅の南東約400メートル。御朱印の有無は不明。

もともと、安濃郡邑陀郷を拓いた大田彦命・大田姫命を地主神社として祀り、須佐之男命を来成神社(きなしじんじゃ)に祀っていた。

来成神社は太古、須佐之男命の一行が朝鮮半島からの帰途、五十猛海岸に上がり、現在の神別れ坂で他の神々と別れた。

その後、須佐之男命はさらに東へ進んで百済海岸に上陸、そこから大田に至って土地を拓き、農業、殖産に努めた、と伝わる。

平安時代初期の延暦年間(782年-806年 )、宇佐八幡宮を勧請し、これを本社とし、地主神社、来成神社を境内社とした。

現在、地主神社は境内に鎮座しているが、境内には来成神社という名称の境内社はない。天王社はある。また、境外に荒神祠があり、これが来成神社とも。

当社地に「おんごく」(御御供)という真名井があり、背後の飯盛山から神西山にかけて、巨人伝説や古代の遺跡があり、土師器などが発掘されている。

当社の南、静間川(三瓶川)を渡った地に、鶴岡八幡宮とも呼ばれる南八幡宮がある。当社が「きたのみや」に対して、南八幡宮が「みなみのみや」。

南八幡に対して、当社は北八幡とも呼ばれる。一対の存在であり、後述のように祭礼も同日。双方とも旧別当は高野山真言宗如意山円応寺だった。

当社の御祭神は、誉田別命息長帯姫命武内宿禰命。例祭は10月15日。南八幡宮と同日。祭礼前、負幟や高野聖などを担い行列を作って街路を練る神事が行われる。

「大田両八幡宮祭礼風流」である。伝承によれば、平安時代前期、高野山から聖宝導師が八幡宮に参詣した時の模様を映し、それに飾り付けを行ったものとされる。

当社の祭礼では、神職は4キロ北の百済海岸で潮垢離をし、前日には境外社の荒神祠に七五三の注連縄を張り、青柴で飾り立て、神馬を一頭、百済海岸に連れて海に入る。

これを「一夜籠もり」という。八幡以前の来成神社の伝統を今に受け継いでいることになる。

当社は神奈備山を背に鎮座しており、木々が多い緑の豊かな境内地。長い松葉が3本ずつのダイオウマツもあるという。

【ご利益】
厄災除け、安産、事業成功、産業振興
喜多八幡宮 島根県大田市大田町大田
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