鈴鹿川が二分した地、近世は貴船社、庄野宿のスダジイ
[住所]三重県鈴鹿市庄野町12-27
[電話]059-378-7360
川俣神社(かわまたじんじゃ)は、三重県鈴鹿市庄野町にある神社。鈴鹿川北岸、関西本線の加佐登駅の南約1.3キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「川俣神社(伊勢国・鈴鹿郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
社伝によれば、社名の起こりは往古、鈴鹿川は庄野の地で二分し、伊勢湾に流れ込んでおり、その二分された川俣の地に当社を斎き祀ったことによる。
しかし、川俣氏族により奉斎されたことによるとも。式内社「川俣神社」の論社は多く、他には亀山市加太板屋と、市内の西富田町、中冨田町、平田本町、和泉町に当社および式内同名神社がある。
『三国地志』には、近世には貴船社として挙げられている。村とともにこの貴船神社を移転したとも伝えられている。
もとは川東の門田に鎮座したが、江戸時代前期の元禄16年(1703年)、現在地である川西の古屋敷に遷座した。
当地は、東海道の庄野宿の地で、歌川広重の浮世絵、東海道五十三次「庄野白雨」で有名である。明治6年(1873年)、村社に列した。
明治40年(1907年)、当社を含む庄野村の7社、汲川原村の3社を庄野村大国神社へ合祀し、現社号に改称した。統合されたため、御祭神も下記のように多数。
大国主神・高龗神・大彦命・健速須佐之男命・宇迦之御魂神・品陀和気命・菅原道真・玉依毘売命・市寸島姫命・大山祇神・埴山毘売神・大直毘神・建御名方神・息長帯日売命
例祭は10月10日。氏子地域は市内の庄野地区、汲川原町。境内の東隅に、背丈は低く丸い樹冠を形作っているスダジイがある。
幹周5.5メートル、樹高20メートル、推定樹齢500-600年。複雑に絡まった枝が特徴。庄野宿の名所の一つとして知られ、県の天然記念物に指定されている。
【ご利益】
縁結び・安産・子育、病気平癒、歌舞・音曲
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・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
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川俣神社(かわまたじんじゃ)は、三重県鈴鹿市庄野町にある神社。鈴鹿川北岸、関西本線の加佐登駅の南約1.3キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「川俣神社(伊勢国・鈴鹿郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
社伝によれば、社名の起こりは往古、鈴鹿川は庄野の地で二分し、伊勢湾に流れ込んでおり、その二分された川俣の地に当社を斎き祀ったことによる。
しかし、川俣氏族により奉斎されたことによるとも。式内社「川俣神社」の論社は多く、他には亀山市加太板屋と、市内の西富田町、中冨田町、平田本町、和泉町に当社および式内同名神社がある。
『三国地志』には、近世には貴船社として挙げられている。村とともにこの貴船神社を移転したとも伝えられている。
もとは川東の門田に鎮座したが、江戸時代前期の元禄16年(1703年)、現在地である川西の古屋敷に遷座した。
当地は、東海道の庄野宿の地で、歌川広重の浮世絵、東海道五十三次「庄野白雨」で有名である。明治6年(1873年)、村社に列した。
明治40年(1907年)、当社を含む庄野村の7社、汲川原村の3社を庄野村大国神社へ合祀し、現社号に改称した。統合されたため、御祭神も下記のように多数。
大国主神・高龗神・大彦命・健速須佐之男命・宇迦之御魂神・品陀和気命・菅原道真・玉依毘売命・市寸島姫命・大山祇神・埴山毘売神・大直毘神・建御名方神・息長帯日売命
例祭は10月10日。氏子地域は市内の庄野地区、汲川原町。境内の東隅に、背丈は低く丸い樹冠を形作っているスダジイがある。
幹周5.5メートル、樹高20メートル、推定樹齢500-600年。複雑に絡まった枝が特徴。庄野宿の名所の一つとして知られ、県の天然記念物に指定されている。
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