北鵤村伊賀留我神社、斎宮大明神、『三代実録』に関連記載?
[住所]三重県四日市市茂福甲483
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伊賀留我神社(いかるがじんじゃ)は、三重県四日市市茂福甲にある神社。近鉄名古屋線の霞ヶ浦駅の北約2.2キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「伊賀留我神社(伊勢国・朝明郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。北伊賀留我神社(きたいかるがじんじゃ)とも。

創祀年代は不詳。鵤村の地で、『神鳳鈔』にいう「鵤ノ御厨房三丁」の地であり、伊勢の神宮(伊勢神宮)との因縁も深く、当社も古くから「斎宮大明神」と呼ばれたという。

御座清直『神社検禄』によれば、当社所蔵で、現在は不詳の古祭文に貞観3年(861年)、六人部津根呂が当社旧殿を新修した。

これは、『日本三代実録』、同年6月20日条の「伊勢国朝明郡六人部津根磨妻泰美豆岐一産三男賜稲三百束充乳母一人三ケ年間給以公粮」の恩賜を感謝してのこととする。

江戸時代前期の寛永年間(1624年-1645年)、鵤村は南北二村に分れ、北は桑名藩の茂福村に、南は忍藩の羽津村に属することとなった。

そのため、当社の南には、当社と同名の神社が現在も祀られており、当社と南の同名神社との距離はわずかに250メートルほど。やはり当社同様、式内論社である。

当社と南の同名神社との間には、江戸時代中期の安永8年(1799年)、本社末社の争論が起こった。資料も皆無であり、現在も、この論争は決着していない。

往時は、齋宮大明神とも、北鵤村伊賀留我神社とも称した。明治6年(1873年)3月、村社に列し、明治35年(1902年)2月13日には郷社に昇格した。

御祭神は、大日孁貴命大山祇命を配祀する。氏子地域は茂福と北鵤町。例祭は10月第3日曜。2月の建国記念日に祈年祭が行われる。

【ご利益】
開運招福、地域安全、家内安全
伊賀留我神社 三重県四日市市茂福甲
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