式内・相鹿木大御神社とも、津田神社に合祀も復社、銅鐸出土地
[住所]三重県多気郡多気町四疋田
[電話]-
八柱神社(やはしらじんじゃ)は、三重県多気郡多気町四疋田にある神社。紀勢本線の相可駅の南西約2キロ。多気町役場の西約2キロ。天啓池の西に鎮座する。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「相鹿木大御神社(伊勢国・多気郡)」に比定される式内社(小社)の参考社。四疋田八柱神社とも呼ばれる。
創祀年代は不明。『式内社の研究』によれば、式内社「相鹿木大御神社」の「木大」は「きた」と読み、疋田(ひきた)の地の所在が求められるという。
四疋田の産土神である当社の比定根拠。他の論社(参考社)に、西外城田神社に合祀された八柱神社、相鹿上神社に合祀された木田神社がある。
もとは現在地の北西1キロほどにある歓喜寺境内の南東端に鎮座していたという。現在地近くからは弥生時代の銅鐸が出土したと伝わる。
明治41年(1908年)2月11日、井内林の津田神社に合祀され、昭和33年3月17日に分祀、独立して現在地に祀られた。
平成30年(2018年)3月6日、分祀以降4度目となる遷座で、御遷座奉祝祭が斎行された。玉垣と瑞垣を新築、神殿の高さを上げて洗浄し、防腐措置を施した。
御祭神は八柱の神で、天之忍穗耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命と、多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐津比売命の宗像三女神含む五男三女神。
境内社に、琴比良神社(大物主命)、菅原神社(菅原道真公)、社宮神社(猿田彦大神)、塞神社(八衢比古神・八衢比賣神・久那戸神)がある。
参道入口の脇に「伝 銅鐸出土地」と刻まれた石碑が立っている。昭和19年(1944年)秋、南西29メートルほど後にあったもの。
道路敷設のため、平成9年(1997年)9月に今の場所に移された。銅鐸は現在、所在は不明だという。
【ご利益】
家内安全、地域安全、一族・子孫繁栄、安産
【関連記事】
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
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八柱神社(やはしらじんじゃ)は、三重県多気郡多気町四疋田にある神社。紀勢本線の相可駅の南西約2キロ。多気町役場の西約2キロ。天啓池の西に鎮座する。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「相鹿木大御神社(伊勢国・多気郡)」に比定される式内社(小社)の参考社。四疋田八柱神社とも呼ばれる。
創祀年代は不明。『式内社の研究』によれば、式内社「相鹿木大御神社」の「木大」は「きた」と読み、疋田(ひきた)の地の所在が求められるという。
四疋田の産土神である当社の比定根拠。他の論社(参考社)に、西外城田神社に合祀された八柱神社、相鹿上神社に合祀された木田神社がある。
もとは現在地の北西1キロほどにある歓喜寺境内の南東端に鎮座していたという。現在地近くからは弥生時代の銅鐸が出土したと伝わる。
明治41年(1908年)2月11日、井内林の津田神社に合祀され、昭和33年3月17日に分祀、独立して現在地に祀られた。
平成30年(2018年)3月6日、分祀以降4度目となる遷座で、御遷座奉祝祭が斎行された。玉垣と瑞垣を新築、神殿の高さを上げて洗浄し、防腐措置を施した。
御祭神は八柱の神で、天之忍穗耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命と、多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐津比売命の宗像三女神含む五男三女神。
境内社に、琴比良神社(大物主命)、菅原神社(菅原道真公)、社宮神社(猿田彦大神)、塞神社(八衢比古神・八衢比賣神・久那戸神)がある。
参道入口の脇に「伝 銅鐸出土地」と刻まれた石碑が立っている。昭和19年(1944年)秋、南西29メートルほど後にあったもの。
道路敷設のため、平成9年(1997年)9月に今の場所に移された。銅鐸は現在、所在は不明だという。
【ご利益】
家内安全、地域安全、一族・子孫繁栄、安産
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