鎮守の森、采女郷7ヶ村の総社、『古事記』三重の采女ゆかり
加富神社 三重県四日市市波木町821
[住所]三重県四日市市波木町821
[電話]059-346-5381

加富神社(かふじんじゃ)は、三重県四日市市波木町にある神社。四日市あすなろう鉄道内部線の内部駅の北西約3キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』伊勢国三重郡にある「加富神社」「足見田神社」に比定される式内社(小社)の論社。

足見川南岸山麓、波木町西部の丘陵に鎮座する。鎮守の森に囲まれた、静かな神社。波木町と貝家町の氏神として崇敬されている。

第13代成務天皇38年、加富郷の産土神として、采女臣の祖神である天饒速日命を奉斎したのに始まる。

当地は『和名類聚抄』にもみえる三重郡釆女郷の郷域内。加富郷が後に采女郷となった。波木・貝家・采女・古市場・清水谷・南小松・北小松の郷内7ヶ村の総社。

この7ヶ村と当社の位置関係において、当社がいずれの村落からも離れた台地上に孤立している。7ヶ村が共同体を組織し、奉斎されたとも考えられている。

当地は『古事記』に描かれた三重の采女ゆかりの地とされる。三重の采女は第21代雄略天皇に「纏向の日代の宮」の歌を奉った。

郷土開発に功績のあった土師連辻氏は常に、当社を崇敬したと伝わる。「火の宮」「火宮明神」と通称された。また、「日の宮」「日宮」とも。

平安時代の康平2年(1059年)、豊後四郎後藤正通は源頼義に従い功があり、采女郎荻山に築城した。以後北勢七郡の領主となった藤原朝臣釆女正の後藤氏は代々、当社を崇敬したと伝わる。

江戸時代、当地は亀山藩となり、藩主の板倉隠岐守重常(在位:1662年-1688年)は1石9斗5升8合を寄進した。

明治41年(1908年)と翌明治42年(1909年)にかけて、地区内の大祠小祠を合祀。大正4年(1915年)1月、神饌幣帛料供進社に指定された。

大正15年(1926年)、采女八幡社を分祀、昭和16年(1941年)には小松神社を分祀した。現在は大日霊女貴尊が主祭神格か。

他に、天饒速日命・天児屋根命品陀和気命天穂日命建速須佐之男命金山毘古命市杵島姫命上筒之男命中筒之男命底筒之男命大山祇神を祀る。

例祭は10月14日。3月1日には祈年祭が、12月14日には新嘗祭がある。歳旦祭が行われ、 境内中央にある大きな穴に火の跡が残る。

なお、式内社「加富神社」の論社は他に、市内山田町に当社および式内同名神社がある。また、式内社「足見田神社」の論社は他に、市内水沢町に式内同名神社がある。

【ご利益】
出世開運、一族・子孫繁栄、開運招福
加富神社 三重県四日市市波木町
【関連記事】
三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧